50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2023-04-23 プロジェクトベース

新型コロナウイルス流行で一時的に業務が減った2020年前半を除くと現在に至るまで仕事量は増加し、通訳報酬の改定も相まって業績は順調に伸びてきたと感じています。


年間売り上げの構成要素を見ると変化がずいぶんあったことがわかります。

過去に共通しているのは大規模会議やIRの割合が低く、機械・情報・コンサルティングに関連する通訳業務への依存度が高い点です。

いっぽう各年度間で「スター」「牽引車」となる分野が入れ替わってきました。


2014年から2016年は原子力分野が大きく貢献しました。半ば偶然に担当するようになったプロジェクトに長く参加することになり、職業通訳者としての生活基盤ができました。

2015年から工場訪問や商業訪問などさまざまなビジネス会議を担当するようになりました。2016年になると経営会議が加わり、IT開発も初めて経験しました(後にこの経験が役立ちます)。2017年は以上に加えて政府系の仕事やマスメディア、国際会議の担当もするようになります。

2018年は前年までの業務組み合わせのまま量が拡大したような年でした。この時期に通訳学校や大学の市民講座で通訳技能や英文の聞き取りの講師をしています。

2019年に質的に変化が起きます。戦略コンサルティングの業務が急増しました。登録のある通訳エージェントの顧客で通訳の必要なプロジェクトが複数立ち上がったためです。どちらかというと偶然の産物ですね。オリンピック東京大会の仕事にもずいぶん出かけました。変化は外からやってきたといえます。

2020年はコロナで大きな変化がありました。戦略コンサルティングの比率は依然高かったのに加え、エキスパートネットワークの短時間業務を引き受けるようになりました。エキスパートネットワークの電話逐次通訳では経験の浅い通訳者が多いようで、企業勤務経験の長い私の通訳が相対的に評価が高く件数が大きく増え、単価も引き上げることができました。一日・半日という伝統的な料金構成に比べると低報酬に見えるのですが、準備をほとんど必要とせず(私の場合は)、いわば「すきま時間」に引き受けられるので売り上げに対する貢献はかなり大きくなりました。

2021年は戦略コンサルティングと経営幹部会議の年になりました。そのほかに通訳者仲間から回ってきた産業関係の業務も定期開催になり、同じ顧客からの繰り返し発注が中心になります。

2022年には戦略コンサルティング業務が続くいっぽう、しばらくの間受注量が少なかった総合大手エージェントからの仕事が急に増えました。自動車産業装置産業など、私のなじみの分野だったので通訳ユーザーの評価が良かったようです。

そして2022年の後半に数回引き受けたプロジェクト担当通訳が翌年「大化け」するとは当時は想像もしていませんでした。

2023年、前年に始まったプロジェクトの通訳需要が爆発し、客先別で1位になりました。先端かつ「業際」(機械・電気・ソフトウェア・通信など)分野で、いままでの通訳経験を総合して生かせる機会になったことも「出会いの妙」でした。

そして、このプロジェクト業務を手配しているエージェントとは数年前に通訳者仲間の紹介で出会ったのでした。2018年に登録して2021年の後半にようやく初仕事、それが翌年客先第1位になるのですから世の中先のことはわからないものです。


新型コロナウイルス流行で遠隔会議が増えましたが、そのときに積極的に遠隔通訳の仕事を引き受けたのも仕事を増やす結果につながりました。マイクロフォンやオーディオインターフェイス、無停電電源などを購入しました。同じメーカーの似たようなPCを2台にしたのは良い選択だったと思っています。自宅のインターネット回線のプロバイダを2020年3月に変更したのも地味ながら欠かせない変更でした。それまでの速度ではおそらくデータ転送が遅すぎましたし、変更時期が遅かったら工事の順番待ちが長くなるところでした。


こちらから働きかけて新しい取引先が増えたことはほとんどなかったことになります。エージェントがプロジェクト単位で仕事を受注し、そこに私がたまたまうまくあてはまったという展開が多いですね。プロジェクトを通して使ってくれるのはありがたいことです。


神奈川県藤沢市用田のムスリムスリランカレストラン「Easy Day」。ラマダン(断食月)に訪問してしまいました。フライドライスならありますとのことで作ってもらったらものすごくおいしい。油を感じないのにさくさくのパラパラです。しっかりした歯ごたえの干し肉が入っていました。

チキンカレー、豆とほうれん草のカレーを作りました