50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2019-07-21 資源(注意力)の配分

仕事に慣れるとはどういうことかというお話です。

仕事は通訳技能そのものの練習にはなりにくいというのが私の考えです。回数を重ねると以前よりも訳が的確に出るようになるのはまちがいありません。しかし、向上の原因は狭義の通訳技能が伸びたことではなくて、その周辺の事情によることがほとんどでしょう。


周辺の事情とは何かというと、場数を経験することによる「慣れ」です。

  • エージェントが照会するときの形式・内容
  • 時間が限られているときの準備のしかた
  • 資料の持ち込み方法
  • 会場への入り方(入館の手続き)
  • 会場内のどこに位置するか
  • 会議の進行
  • 暑さ寒さ対応
  • 食事をどこでどう取るか
  • 同席通訳者との交代
  • 通訳機材の扱い
  • 顧客の属する業界の動向
  • 危険予知
  • 危機管理(聞きとりにくかったら・言い間違えたら)
  • なんとかなる、いままでもなんとかなった、という思い

数十回・数百回と経験することでこうした面では相当楽になります。懸命に考えなくても半自動的に対応が可能になってくるのです。

この効果はかなり大きいと思っています。少なくとも私にとっては。

周辺部分が楽になれば「発言を聞いて訳す」という通訳業務の核心部分に精神的な資源をより多く割り振れるようになります。「経験を積んだから通訳が上手になった」というときにはこの要因が主なのだろうと思っています。


私は以上のように考えるので、通訳技能そのものの訓練は継続して行うべきだと思っています。世の中がいろいろな方面で進歩しているとしたら、通訳者の技能もその例外ではないはず。
「薄暗い映画館で必死にセリフを聞き取って英語の練習をした」
「辞書をボロボロになるまで使った」
というのはすばらしい話ですが、
「ネット経由で良質の動画素材を存分に使って」
「携帯音楽プレーヤーやスクリプト字幕機能を生かし」
コーパスをインターネット経由で調べる」
という現代の学習のほうが大きい成果を短い時間で達成できるでしょう。便利な方法を使うと身が入らないというのはくだらない思い込みでありやっかみです。最新の方法を使っても学習の大変さは変わりません。スケート選手は高地で、棋士はAIを相手に練習しています。

周囲が進歩しているのですから、自分が立ち止まっていれば相対的に置いて行かれます。通訳学校に通い始めた2012年から常に
「自分が立っているのはゆっくりと下るエスカレーターだ」
と思うようにしています。


南インド風のアヴィアル(ヨーグルトとココナツを使った野菜の煮物)と北インド風のダール(ひきわり豆の煮込み)。思ったとおりの味になりました。

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