鳥飼玖美子「通訳者と戦後日米外交」を読んでいます。日本で同時通訳のさきがけとなった各氏が通訳を始めた事情などを描いた第四章に入ってからぐっと引き込まれます。さらに第五章では登場する通訳者がどのような通訳をし、職業としての通訳をどう考えているかが明かされていきます。
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通訳は自分の思考を話者に乗っ取られるような仕事なので、通訳者は通訳以外に自分の考えを出していける活動をしないと健全に生活できないという通訳者の声を紹介している記述がありました。今のところ私は通訳の他にはこれといって取り組んでいることはありません。生活は通訳を中心に回っているという感じです。経験も浅いので「面白い」の一歩手前の「珍しい」が先に立っているのかもしれません。
いつか私も通訳だけでは苦しくなって「自分の歌が歌いたくなる」ときがくるのでしょうか。
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私は通訳者になる前に長年の企業勤務を経験しています。そこでは他の組織同様に問題の多くはコミュニケーション(とその不全)に起因していました。
理解とは誤解のことであり、誤解以外の理解は事実として存在しない
(野口三千三)
その経験からか、(言語が異なるために)話が通じない参加者をなんとかして結び付けたいという思いがあります。職業人生のほとんどで通訳をしてきた人との違いがこのあたりにあるかもしれません。
たまにはうなぎを食べたりもします。