50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2019-09-24 通訳濃度

通訳者になるには自分を「通訳濃度」の高い場所に置こうというお話です。

進学校と呼ばれる学校に通うと受験の情報が自然と入ってきて、いわゆる有名校を受験するのが当然という雰囲気になる。建築設計事務所や法律事務所で働くと周囲の人の多くがいつかは独立しようと考えているので自然にそのように行動するようになる。


私が通訳者になろうと思ったとき、まず初めに
「必要な情報が集まりやすい場所に身を置こう」
と考えました。様子がわかれば次に何をするかがわかってくるでしょう。

二つの場所を思いつきました。通訳学校とオンラインコミュニティです。

通訳学校は自明のことですが、オンラインコミュニティについて少し。


英語の学習ではオンラインのつながりがとても助けになりました。Windows95発売・家庭からのインターネット接続の前のことです。パソコン通信の英語関係の会議室にアクセスして学習方法や素材の情報を集め、仲間と共に勉強しました。こうした環境がなければずいぶん苦労したはずです。

余談ながら当時練習していた楽器のコミュニティも実に充実していました。本来なら出会えないような方々(NHK交響楽団響の首席奏者が練習会に来たり、スイスの音楽院に通った方に教えを請うたり)。

オンライン仲間の情報(オンラインの情報ではなく)は鮮度が高く確かなものが多かったという記憶が強く残っています。


通訳の学習をするときもオンラインで有益な情報を発信している人を追いかけるようにしました。その延長で一般社団法人日本会議通訳者協会の立ち上げにかかわることができ、皆の苦手な会計ができることから会計担当の理事に就任という意外な展開になりました。会計担当でも理事は理事。日本通訳フォーラムの基調講演者(注)やセッション発表者といろいろと話をする機会もありました。


企業勤務での経験、通訳学校での出会い、オンラインから地上での出会い。この3つの脚で通訳者として立っていられるような気がします。物理では足が3本あれば倒れませんし。

注:原不二子さん・鳥飼玖美子さん・鶴田知佳子さん。今年の新崎隆子さん・小松達也さんとはお話ができず残念…。

もひとつ注:こうしたことは実は副次的で、日本語と英語との運用能力・基礎通訳力がなければどうしようもありません。平凡な能力ながら通訳者養成機関インタースクールでは会議通訳本科の1→3は再履修なしで進級しました。3から4への進級はできませんでしたが、別ルート「プロ速成科」が開設されてそちらを修了。運が良かった。勝てば官軍、「再履修なしで修了証を受領」と言っても嘘にはならない…。


庭のカレーノキがだいぶ育ち、カレーリーフを収穫しました。うっとりする香りです。

f:id:shira-j:20190923230425j:plain

 

右のポテトマサラ、やや大きく切ったタマネギを炒め始めてすぐにトマトを入れるという異例のレシピ。大丈夫なのかと思ったらタマネギに味が入ってとてもおいしい。インド料理の奥深さ。写真以外にケーララチキンカレーも作りました。ベトナム食材店で買ったココナツミルクを使って良い香り。

f:id:shira-j:20190923230508j:plain