50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2019-03-12 椿事

複数日を1人体制で担当する通訳業務に赴いていました。最終日に行くとお客様が
「あれ、今日はおいでになる日でしたっけ」
「すでに通訳さんが来てるんですが」
とおっしゃる。一瞬私の思い違いかと思いかけましたが、日程をしっかり確認してあるのを思い出して自分を励まします。

会場に入ると、あれ、どこかで見た人。えっと、名前は何とおっしゃったっけ。あの人ですよ、あの人。二年前くらいに恵比寿か渋谷あたりで通訳者仲間の集まりで会った人。Facebook でもやりとりがある人。でも、ちょっと感じが違うかな。向こうはこちらに気づかないようだし。

二人の通訳者がお互い他人行儀にあいさつします。
「Shira といいます」
「あらあ、やっぱり。JACI(日本会議通訳者協会)の!」
「そうですそうです」(と言いつつまだ相手の名前を思い出せない)
「こんな形で会うなんて、不思議ねぇ」
「いやまったく…」(やば。お名前何だっけ…)


通訳者の需要が多い時期のためお客さんが複数エージェントに依頼し、メールのやり取りが忙しくなりどこかで手違いがあったようです。二人は異なるエージェントから来ていました。その後お名前を確認し、昼はおいしい北インド料理の店でゆっくり話ができました。


通訳歴の長い通訳者と同じ現場に居合わせることが増えてきました。通訳を5年続けてきて「仮免許」を取得する時期だからでしょうか。


エクセルシオールカフェ。西新橋では特に形を作りませんが、この店では木の葉やハートにするようです。

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2019-03-11 高田馬場でのライブ

通訳者丸尾一平さんの作詞作曲・歌唱・ギター演奏はたいしたものです。過去3回ほどライブに行きましたが、実に楽しめる演奏。

マルオ with the Clutch Players」(2017-06-29)

先日の演奏はこの録音からまた一段と進化していました。ベースの土屋晃さん・ドラムスの高嶋伸弥さん・ギターの塚田直さんもすばらしい。


ライブの前に入った店が中国の巨大チェーン店「沙県小吃」の日本第一号店だと後でわかりました。滷肉飯(魯肉飯)は日本では台湾の食べ物として知られていますが、高田馬場店限定で出しているとのこと。

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2019-03-10 祝 仮免許取得

インタースクール通学時の恩師であり、今では(外から見ると)パートナー通訳者としてお世話になっている方が授業の合間にこう言ったのを憶えています。

通訳でなんとか生計を立てて5年で仮免許、10年で一人前

私の場合業務開始日は2つあるという感じがしています。

2014-03-05 初の通訳業務。出張も含め1週間でした。

2014-08-11 初の本格的業務。工業的分野で2週間。

初めて仕事に出てから5年が過ぎました。なんとか仕事の引き合いも続いています。まずは仮免許が得られたと考えてもよさそうです。


この仕事を5年続けてくると、なぜ5年で「仮」なのかもなんとなくわかってきます。

  • 仕事の範囲がまだ狭い。専門をどうするというより、もう少し市場で何が起こっているかを見る必要がある。
  • 情報収集や準備の方法にもまだ改善の余地が大きい。
  • 5年目の1年間で顔なじみの通訳者が大きく増えた。これはさらに加速しそう。
  • 業務日数も増えたが、業務1回あたりの報酬も上昇してきた。個人事業主としてどのような組み合わせで仕事をするかを考える時期。
  • 通訳技能についても仕事を通して気づくことが多い。

こんなことに取り組んでいると次の5年もすぐに過ぎていくはずです。10年過ごすと景気変動もあるでしょうから、そこで生き残っていて「仮」が外せるということなのでしょう。


コサギが食事中。

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2019-03-06 実現した

民間通訳者養成機関のインタースクール(経営はインターグループ)には修了生を送り込む業務にいろいろと「品揃え」があるようです。

これはあくまで私の例ですが、以下のような順で進みました。

  1. まだスクール生なら、通訳が原因で問題になることのない現場、たとえばお互いに初顔合わせのビジネスマッチング(物産展など)。ここで時間通りにきちんと現場に着くか、顧客の指示に従えるか、現場の納め方を学べるかを観察するのではないかと(私が通訳派遣担当コーディネーターならそうする)。
  2. 安心して送り出せることがわかったら短い逐次通訳が発生する現場を経験させる。
  3. 経験を積んだ通訳者があまり引き受けたがらないような仕事にも「要員」として送り込まれることもある。初歩の通訳者にとっては大切な現場。
  4. 少しずつ業務の内容が多様になる。「え、私でいいんですか」というような重要そうな会議に出たり、何も起こらず、通訳者が「壁の花」のように過ごす現場に出たり。このあたりでスクールは修了。
  5. 企業内部の会議の通訳も担当するようになる。仕組みの出来上がっているところに入り込んで通訳をするのは実はかなり難しい。
  6. 唐突に同時通訳の仕事もやってくる。同スクールの先輩と組ませることが多いようです。先輩には「新人が黙っちゃったらマイク奪って通訳を止めないように」といった指示があるのかもしれません(憶測です)。
  7. きちんと仕事ができることを示せばどんどん仕事をつないでくれます。大企業も中央官庁も、会計も科学技術も、芸術も販売も、蒸気タービンもさつまいもも。

私は、スクール受講生、卒業生の皆さんとインターグループ会議通訳者としてペアを組み、稼動することを自らの信条としています。

という講師の言葉どおり大企業の常設同時通訳ブースで仕事をしたのが 2016年8月。この顧客も修了生を送り込む「いつもの現場」のようです。そして、どうも他にも「いつもの現場」があるらしい。

「ねえ、△△さん(恩師の名)、私にも◇◇の仕事たまにはさせてくださいよ」
と言ってから数か月。言った本人が忘れていたころにこの現場に行くことができました。同席通訳者はこの恩師と私のすぐ後にスクールを修了した新進の元気な通訳者。

「Shira さん、この仕事したいって言ってましたよね」
とのこと。忘れずに頃合いを見ていたのでしょうか。ありがたいことです。


インド料理店に行かず、雨で外出もないので写真が品切れです。

通訳者になろうと思ったときに二輪車を降りました。集中と選択と、です。写真のスクーターには 2009年から2013年まで乗りました。2008年に飲酒をやめています。二輪に乗り続け、風呂上りにビールを飲んでいたら通訳者になれたかどうか…。

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2019-03-03 年齢のはなし

今年1月末の出張業務で共に仕事をした40代の通訳者から
「短期記憶の出し入れは若い人にかなわない」
と聞きました。

アルク社の「イングリッシュジャーナル」4月号の連載記事
「通訳の現場から」
で筆者の関根マイクさんが同様のことを書いています。


私は50歳を過ぎてから通訳者になったので、短期記憶・反応速度では若い人にかなわないはずです。しかし、過去の自分との比較はできません(通訳をしていませんでしたから)。これは一種の気楽さに通じます。加齢による様々な衰えはあるのでしょうけど、通訳業を始めてからの期間が短いので学習のS字カーブの立ち上がりが急なところにいるわけです。

こんな状況でも市場でお客様が私の通訳役務を買ってくれるので毎年収入が伸びてきました。今後私の通訳提供能力や市場競争力、差別化がどうなっていくのか一種の実験の様相もあって楽しみにしています。


イングリッシュジャーナルは1980年代に別売カセットテープで聞く音声素材が楽しみで毎月買っていました。今般縁あって私も短い記事を寄稿したために久しぶりに手に取りました。内容の充実はたいしたものです。ネット時代に紙媒体+CDで生き残ってきただけのことはあります。さっそく聞き取り・通訳訓練の素材に使います。キュレーションの行き届いた素材媒体として一級のものですね。

※ 関根マイクさんの著書「同時通訳者のここだけの話」が発売となりました。なかなか筆が立つ方なので、みなさんもぜひ。


西葛西の「アムダスラピー」で南インドターリー。尖ったところがないおいしさ。一口目で強い印象を与えようとしない料理はいいですね。プーリ(揚げたチャパティ)はちょっと油が強くて2枚は食べられませんでした…。野菜のカレーはすばらしい。

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2019-03-01 3月上旬の変

今年(2019年)3月4日(月)から8日(金)までの東京における通訳需要は少し度外れているようです。登録エージェントの少ない私にも20件以上の照会がありました。必然的に15件以上にお断りの回答をすることになってしまいます。エージェント側も返信を確認してなんとか通訳者を引き当て、多くの通訳者に
「先約がある旨承知しました。それではまた次回別件にて」
と回答するのも大変だろうと思います。

そしてさらに状況を複雑にするのが通訳発注側の予定変更。日程が変わったり会議が消滅したり。これが乗数効果で通訳者へと波及し、その影響がエージェントへとはねかえってきます。

エージェントで通訳者引き当ての仕事をしている皆さんの心の平穏を祈るのみ。せめて暖かくしておいしいものを食べ、なんとか睡眠時間を見つけてください。


インド南部4州の1つケーララ州から来日した方が主催するインド料理教室に参加しました。ココナツと赤唐辛子を豪快に使います。ミキサー大活躍。
・魚のカレー
・鶏のカレー
・ヨーグルトのカレー
・緑豆とココナツのおかず
・あさりのドライカレー

普段は家庭でちまちまと料理をしているので、量が多いだけでもなんだかうれしくなります。

たまねぎ!

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にんにく!

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スパイス!

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2019-02-24 あわてるな

今思うと2012年9月末に勤務先を退職したのは思い切った行動でした。蛮勇と呼んでもいいかもしれません。

初めてエージェントを介して通訳の仕事に出たのは 2014年3月です。つまり1年半はほぼ無職の生活でした。翻訳を数件請け負いましたが、さほど大きい額ではありません。

当時の預金通帳の記載を見るとなかなかすごいことになっています。この期間に数百万円を「燃やして」います。人間が生活するって、お金がかかるものです。退職金もあって残額はそれなりにありましたが、流入が止まると減り方ってすごいと思い知りました。

しかし、
「2年半でエージェントの名刺を持って通訳者の仕事に出る」
と決めていましたし、それがかなわなければ別の職業に就くつもりでした。ひとたび決意すると不思議と落ち着いていられるものです。

もうひとつ、
「失わないと次に進めない」
という思いもありました。会社を辞めました・すぐに通訳者になりました、という甘い話が通るわけがありません。


通訳者になる努力は駅前のライブ演奏から始めて音楽で身を立てるようなことに比べるとずっと恵まれている。音楽やお笑いと違って
「何が売れるか」
がわかっているからです。呼ばれた先で通訳ができればいいのです。これができれば生活していける。その証拠は先人がしっかり示していました。そして「したいこと」と「売れること」の違いで悩むこともありません。


そして昨年の後半あたりから月額売上は安定して会社員時代の月給をそこそこ上回るようになりました。賞与や有給休暇がないので実質的な年収で追いつくにはもうすこしかかりそうですが…。通訳学校の講師が
「5年で仮免許」
と言ったとおりだと感じています。

ほぼ無職の期間の「逸失給与」を惜しむつもりはありません。通訳者になるために必要な無収入の期間だったから。たかだか数百万円、やがて取り戻せる日がくるでしょう。


姉弟子と大手町・霞が関周辺で仕事。前菜のキッシュはグリーンピースがいい感じ。

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昼からエビです。

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