50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2019-02-24 あわてるな

今思うと2012年9月末に勤務先を退職したのは思い切った行動でした。蛮勇と呼んでもいいかもしれません。

初めてエージェントを介して通訳の仕事に出たのは 2014年3月です。つまり1年半はほぼ無職の生活でした。翻訳を数件請け負いましたが、さほど大きい額ではありません。

当時の預金通帳の記載を見るとなかなかすごいことになっています。この期間に数百万円を「燃やして」います。人間が生活するって、お金がかかるものです。退職金もあって残額はそれなりにありましたが、流入が止まると減り方ってすごいと思い知りました。

しかし、
「2年半でエージェントの名刺を持って通訳者の仕事に出る」
と決めていましたし、それがかなわなければ別の職業に就くつもりでした。ひとたび決意すると不思議と落ち着いていられるものです。

もうひとつ、
「失わないと次に進めない」
という思いもありました。会社を辞めました・すぐに通訳者になりました、という甘い話が通るわけがありません。


通訳者になる努力は駅前のライブ演奏から始めて音楽で身を立てるようなことに比べるとずっと恵まれている。音楽やお笑いと違って
「何が売れるか」
がわかっているからです。呼ばれた先で通訳ができればいいのです。これができれば生活していける。その証拠は先人がしっかり示していました。そして「したいこと」と「売れること」の違いで悩むこともありません。


そして昨年の後半あたりから月額売上は安定して会社員時代の月給をそこそこ上回るようになりました。賞与や有給休暇がないので実質的な年収で追いつくにはもうすこしかかりそうですが…。通訳学校の講師が
「5年で仮免許」
と言ったとおりだと感じています。

ほぼ無職の期間の「逸失給与」を惜しむつもりはありません。通訳者になるために必要な無収入の期間だったから。たかだか数百万円、やがて取り戻せる日がくるでしょう。


姉弟子と大手町・霞が関周辺で仕事。前菜のキッシュはグリーンピースがいい感じ。

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昼からエビです。

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