リプロダクション(再現)がなぜ通訳訓練につながるのかを考えてみました。
仮説1
通訳で必要な短期記憶を確実にする。
この点については簡単ではなさそうです。遺伝的要素や幼少時の生活のほうが大きく作用するようです。以前に某通訳学校の公開講座で隣に座った方は通訳訓練の経験はないとのことでしたが、 The Economist なら1パラグラフくらいを1度聞いて楽に再現していました。個人差が大きいようです。
短期記憶の養成であれば、ソース言語・ターゲット言語のどちらを使っても良さそうです。つまり、日本語が母語なら英語だけではなく日本語を使って練習しても同じ効果があるのではないか。ここで第二言語のほうが記憶に残りづらければ、それは狭義の記憶力の問題ではなく、文意が理解でないために記憶できないのでしょう。
仮説2
リプロダクションは実は言語の習得の一手段か。
文を聞いて理解・整理ができないために記憶があいまいで、その結果として再現ができないとします。この場合のリプロダクション練習は
「日本語または外国語の学習」(通訳訓練ではなくて)
と定義して良いと思います。
リプロダクションの位置づけ
私の場合、上記2の比重が高いようです。日本語が「利き手」ですので、英語を鍛える必要がある。瞬時に理解できているかは再現するか訳してみればわかる。
これとは逆に、両言語が十分に発達した人はリプロダクションの練習をあまり必要としないのかもしれません。つまり、記憶力は生まれつきほぼ固まっているから練習の必要性が少なく、言語習得のためのリプロダクションも不要。逐次通訳をしてみて弱点を埋めていけばよさそうです(こうした人はかなり少数派だと思います)。中学・高校・大学を英語圏で過ごした人の場合には「大人の日本語」を身に付けるために日本語リプロダクションが必要でしょうね。