50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2018-04-02 同席通訳者から学ぶ

通訳業務で忙しくしているばかりでは通訳技能を保ったり向上したりすることができないと考える通訳者もいて、この主張はもっともだと思います。資料を読んで準備するだけで精いっぱいといった日が続くと、正直なところ翌日の通訳が大過なく終わればそれだけで望外の成功と思いたくなります。基礎的な練習は「後回し」になり、実際にはその「後」はなかなかやってきません。それでも通訳の品質を担保するにはどうにかして練習を継続する必要があります。

しかし、現場で学ぶことがあるのも事実。

他の通訳者の訳を聞くと本当に学びがあります。通訳者毎の特徴が少し(あるいは多く)現れるからです。

  • 用語の選び方
  • 速度の制御のしかた(一定なのか緩急があるのか)
  • 待たずに順送りなのか意味のまとまりを重視するのか
  • 危機管理(追いつけないとき・話者の発言が不明瞭なとき)


人間は自分と異なるものごとに反射的に負の印象を持つ傾向があると思います。自分が重要だと思うことを重要に扱っていない通訳者に対しては
「おやおや、それは問題ではないでしょうか」
「困りましたね…」
と感じます。

しかし、実は自分でも程度の差はあれその問題を抱えているのは間違いありません。それを外部から気づかせてくれるのが他人の訳なのだろうと思います。他人の訳を聞いて「まずい」と感じる要素は自分の訳にもおそらく存在する。あるいは今は表に出ていなくても顔を出す可能性がある。

そしてもう一つ。自分があまり気にしていなかったことを気づかせてくれる通訳に出会う時もあります。単に
「上手だな」
ではなく、上手だと感じるのはなぜかを少し考えてみる。ここから気が付くことも多いですね。


ある週の資料。通訳者は書き込みを望むのでどうしても紙がありがたい…。

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2018-03-25 きちんと寝ましょう

しばらく前に日帰り遠隔地勤務が続いて疲れが溜まる寸前でした。なんとかして睡眠時間を確保したのが良かったのか、うまいぐあいに踏みとどまって元気に仕事ができています。

なるべく規則正しく生活することがとても大切だとしみじみ思います。ろうそくの両端に火を灯すようなことをしては長続きしません…。

 


大森にあるおいしいネパール料理店サーランギーに入ったら、ネパール人女性が16人ほども来店。わいわいと写真を撮りあってから席に着き、まずマンゴーラッシーで乾杯なのですね。見ているとセルロティと各種おかずの乗った皿がどんどん出てきます。

私が会計をして出ていくときに店の人に尋ねたところ、仲間の1人がネパールに帰国するのでお別れパーティだとのこと。セルロティだったのもそのためでしょうか。

私が食べたのはいつものネパール定食。ご飯が止まらない危険がある…。

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2018-03-23 生々しく想像しよう

ブースのガラス窓から後姿が見える。片耳に通訳受信機のイヤフォンを付けている。意見が活発に出る討論の時間。

こうしたときこそ同時通訳が最大に生きる気がします。通訳者が届けた質問を聞いた後姿がかすかにうなずいて発言を始めます。問いにしっかりとかみあった回答が通訳者のイヤフォンに響くとしみじみと喜びを感じます。

今回は通訳音声を聞いている人を視界に入れてわかりやすく伝わるようにと念じて訳してみました。決して聞きやすいとはいえない片耳のイヤフォン。そこから出てくる音声を頼りに自分の業務成果を伝えようとしている人がいる。話者に忠実で聞き手にわかりやすい最高の訳を届けなくてはブースに座っている意味がないじゃないか。


久しぶりの西新宿「ムット」。ムットさん、動くのが少し大変そうかな?細く長く店を続けてください。しっかり者の娘さんがついている。日本の南インド料理店は北インド風定食(タンドーリチキンやナン)を出さないと売り上げが立たない。あえて注文してみました。ココナツを使った南風のカレーがおいしい。

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ムットさんが「じゃーっと」してくれました。

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2018-03-22 同時通訳グランプリが記事になりました

日本会議通訳者協会(JACI)が主催する
第1回JACI同時通訳グランプリ
が「通訳翻訳ジャーナル」(イカロス出版)のオンライン記事になりました。

審査員として鶴田知佳子さんの名が挙がっています。本選会場は東京外国語大学のブース付会議室。

2月・3月・4月に準備ワークショップも開催されます。


通訳は
「他人に聞いてもらう」
という営みですから、こうした機会は貴重だと思います。

 

2018-03-21 たくさん移動しました

宿泊を伴わない遠隔地の仕事が集中しました。交通ICカードに1万円分チャージしてもすぐになくなります。

火 福島県
水 休み
木 茨城県
金 福島県
土 埼玉県
日 埼玉県

そして月・火と終日の同時通訳です。埼玉県って遠隔地か? という問いもありそうですが、横浜市に住んでいる身になるとさいたま市は十分に遠いと思いますし、久喜や熊谷はほぼ「地の果て」感覚です(埼玉の人も伊勢原や小田原の名を聞いたら同じように感じると思います)。

睡眠時間をできるだけ確保したので無事に切り抜けることができました。しかし、土・日に仕事を入れて月・火に十分な準備が必要な会議があると相当つらいですね。まあ、こうして痛い目に遭いながら教訓を得ていくのだろうと思います。


雨上がりの川は水がきれい。

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2018-03-12 思い切りと運だけ。

今になって思います。

なんとか通訳を生業として続けてこられたのはひとえに

  • リスク取り

のおかげ。

思い切って企業を退職して受講者という一介の素浪人にならなければ通訳学校で果実を得ることは私の実力では難しかったことでしょう。

インタースクールであのときあの講師に出会わなければ、その後引っ張ってもらうこともなかったでしょう。

ほぼ開店休業状態だったときに得た仕事で顧客に信頼されたのは、前職での空調プラントや電気の知識がなければずっと難しかったはず。


とても他人に勧められる道ではありませんでした。

「続けていけばやがて道は開ける」
といった言葉との出会いを求めて勇気づけられることを欲している人は以下のことも少し考えてみてもいいかもしれません。

そうした記事は
「なんとかなった人」

「過去を振り返って」
書いているのです。

2018-03-11 通訳業を始めて4年

通訳学校に通い始めたのが 2012年4月。通訳の仕事に初めて出たのが 2014年3月でした。ずいぶん昔のようでもあり、ついこの間のような気もします。

一般に何かを始めて3年間というのが一つの「切りの良い」期間だと思われているようですが、私の場合は4年でしょうか。オリンピックの間隔が仕事の経験の節目に合うような気がします。

昨年の今頃はまだ軌道に乗ったという感じはしませんでした。仕事の種類や受注先が限られていましたし、年間通訳報酬も給与所得者の平均や中位(政府統計)程度でした。

今年は生活の基盤に足る報酬を得ていく足がかりができた気がします。業務のうち同時通訳が占める割合が 50% になり、政府間交渉やマスコミ取材入り政府関係公開委員会も体験できました。産業系でも土木・化学・原子力・運輸・半導体・自動車・機械・食品と幅が広がりつつあります。学術系も担当しました。

企業勤務 28年の後に新しいことで目の前がどんどん開けてくる経験ができるのは本当に楽しくありがたいことです。


東横線南武線横須賀線快速の3路線を使える武蔵小杉。南インド料理の「マドラスミールス」が有名ですが、北インド料理の「パンジャビダバ」も実に良い店でした。カレー3品の昼定食が 980円(税共)と手軽な価格でなかなかの品質です。野菜カレーや豆カレーの香りの良さに少し驚きましたし、ナンは屈指のおいしさです。

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