50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2018-03-08 資源(注意力)配分の問題だ

先日は姉弟子と仕事でしたが、その次は妹弟子と一緒になりました。この妹弟子、またの名を通訳者Mという。

通訳者Mさんのブログ記事はおすすめです。着眼点がすばらしいし分析も鋭い。私は読むたびに
「わかってるね…」
「それは気づかなかった…」
と感心するばかりです。


通訳者が通訳する話の内容を理解することについてMさんと話をしました。

純化すると2つの極端な例が考えられます。

  1. ほとんど文法や文脈の力に依存して訳文を作っていく。ことによると通訳者が話の内容をほとんどわからなくても通訳が成立していく。
  2. 通訳者の脳裏に話者の考えや表現がくっきりと浮かび、通訳者は自分の理解を訳文にしていく。

私の考えだと、実際の通訳は

  1. 上記2つの間のどこかで訳文が生まれ、
  2. かつその「どこか」は時々刻々と浮動する

のではないだろうか、というものです。話者と通訳者とは別の人間ですし、通訳者は話者と同程度の専門知識・経験を持つことは普通ありえない。しかし、用語などがまったくわからずに通訳ができるとは到底思えません。

したがって、

機械的に文を構成する  <===>  内容を再現していく

この間のどこかを常に行き来しながら訳していくような気がします。内容や主張がおおむねわかっていれば少しくらい予定外の用語が出てきてもそのまま(カタカナ等で)訳文にそれらしく埋め込んでしまえば会議は何事もなかったかのように進み(通訳者の心には「?」が漂うが)、通訳は成功する。

通訳者の理解の度合いが下がってくると通訳者が感じるストレスが多くなり、やがて訳文が意味をなさなくなり通訳音声を聞いている人たちの心に「?」が漂う。これは通訳の失敗です。


通訳者にとってなじみの内容だったり予習が十分にできていればそれだけ訳文を自然にしたり聞きやすくまとめる方面に「脳内資源」を差し向けることができます。そうでない場合は耳に入る音声の解析に資源を多く投入するために訳文がわかりづらくなったり不自然になったりする。私はそんなふうに感じています。

したがって「言語の力か専門知識か」という二者択一の問いにはおそらく意味がない。どちらも必要です。職業なのですから、できることはすべてしなければなりません。知識面で苦しいときにはしっかりした言語運用能力でなんとか体裁をつくろい、知識に助けられるときには言語運用能力を生かしてさらに正確で整った訳文を出す。そしてこの両者の割合が一瞬ごとに変化しつつ通訳が進行するのだと思います。


しばらく食べていません。沖縄名物ですから、やはり夏に食べたくなるのかな。

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2018-03-07 Goldilocks はまずあり得ない。

師匠・姉弟子と組んで3人態勢の同時通訳。仕事ではピリリとしていますが、昼休みなどは気楽な話ができていいですね。分担を現場の状況に合わせて柔軟に変えることができるのも気心知れたチームならではでしょう。

仕事が終わっての別れ際、姉弟子と少し立ち話。

「通訳者稼業で『仕事量がほどほど』は難しい」
「請け負わないと仕事が来なくなるし、請けるとどんどんやってくる」


しばらく東北新幹線上越新幹線、特急「ひたち」ばかりでした。久しぶりに東海道新幹線に乗れてなんだかうれしい。

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2018-03-06 なんとか切り抜けました

通訳学校で週2講座(週末)・大学の公開講座で週3講座(平日・週末)の講師をしていました。共に学期末を迎えてようやく週末に休みが取れるようになりました。「来るものは拒まず」で取り掛かったのですが、疲労は少しずつ積もってきますね。教室に入ると全力を出してしまいますし…。

企業勤務時代には新入社員の研修や仕事での指導をしていましたし、トーストマスター活動では部屋の前に立って話す練習をしていました。振り返ってみると講師の準備でもあったような気がします。


土曜・日曜の朝に起きて
「ああ、今日は朝出かけなくてもいいんだ…」
という安堵・解放感を久しぶりに味わおうと思います。


通訳の仕事では予定がかなり荒っぽく変更になり気をもみましたが、1~3月で昨年比で日数が減少、報酬合計は増加となりました。この勢いで今年も増収増益といきたいところですが、先のことはわかりません。引き続き
「今日のこの1件・今のこのやりとり」
に心を合わせていこうと思います。


公開講座を担当した大学の近くにすてきな料理屋さんがありました。

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出張先では刺身とサバ。

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2018-02-25 いろいろな国の方と

日本に住んでいると忘れがちなことがあります。

領土・民族・言語・文化風俗・行政区域 がほぼ同じ大きさの円で重なりあうことが世界では例外だということ。

Aという国にほぼA国人のみが住んでA国語を話してA料理を食べていて、その国にはAという政府だけがある、というのは実は少数。

 


気分が引き締まります。

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2018-02-24 早朝週間

ぎりぎりで日帰りができる現場が続いた週がありました。気づかずに疲れがたまるとよくないので意識して早寝をします。大規模温泉浴場もいいですね。

近所の浴場施設で気づいたことがひとつ。月~金は減菌用の塩素を減らしています。週末と違ってあの「プールのにおい」がほとんど気になりません。投入量を減らして費用を節約するのかもしれませんが、利用者としては歓迎です。


最寄り駅の周囲に飲食店がまったくない客先もあります。そんなときにありがたいのが駅前のコンビニエンスストア。店内に小さなカウンターといすがあり、温かいものを食べられて本当に助かります。コーヒーもなかなかの香り。


仕事が終わった夕方ではありません。朝の乗り換えです。

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2018-02-18 確かに怖い--本当に通訳できるのかどうか

ブログ「定年からの通訳デビュー」でモコちゃんパパさんがこう書いています

いまだに「スピーカーの言っていることが全く聞き取れなかったらどうしよう」と思うことがあります。 

 この気持ち、本当によくわかります。初めての顧客・初めての場所だと
「なぜ自分が通訳できるといえるのか」
がよくわからない。

「いままでなんとか通訳してきたではないか」
というだけでは安心できないのです。
今日こそ通訳者として息の根が止まる日になるんじゃないか
と以前にもブログに書いたのを思い出しました。


私は大手民間通訳養成機関「インタースクール」を修了した縁で同校の母体インターグループから通訳業務を多く請け負ってきています。同校は
「インターメソッド」
という養成手法を提唱しています。学校と通訳現場とを結び付けて通訳者を世に出す機会を作り、実力を伸ばしていこうというもの。インターグループから業務の打診があるときには
「このエージェントは私の授業での出来を知っているし、いままでの私の経験もわかっていて照会してきている」
という安心感があります。難易度100の仕事の後に打診してくるのは115のもの。いきなり150のものは回してこない。後になってわかるのですが、これは実にありがたいことです。おそらくサイマルアカデミー等他のエージェント併設学校でも同様だと思います。


他のエージェントですと私の業務経歴書と現場での評価がすべて。順を追って育てていこうという発想はありません。
「こんな仕事があります。請け負ってくれますか」
という "Take it or leave it" という関係に近くなります。通訳者は
「その仕事、私にできるんでしょうか」
と受け身でいることはもはや許されません。

仕事の難易度や自分の経歴への影響を自ら推量して引き受けるようになればフリーランスの入り口にたどり着いたのかなあ、という気がします。


通訳音声の受信機。これだけ多くの人が通訳者の声を聞きます。
(写真はイメージです)

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2018-02-13 自営業

通訳学校を終了してからずっと自営業(フリーランス)で通訳業を営んでいます。そう、「営んで」いるんです。仕事の打診を受けたら引き受けてもいいし断ってもいい。その帰結を自分で引き受けるまでです。意識するとしないとにかかわらず、自営の仕事のしかたには事業主の戦略(ちょっとおおげさかかな。方針といってもいい)が現れます。

技能まっしぐら、「刀を研ぐ」ことを第一とする人。通訳というサービス業でも当然市場原理が働くので需給関係や報酬に敏感な人。分野を限る人。様々な分野を引き受ける人。商談や交渉に特化する人。会議場での同時通訳を志向する人。通訳学校で教える人。教えるのはカネにならないしめんどうだという人。

続ける自由もありますし、市場から退出する自由もあります。通訳サービスが売れなければ昔の英領香港のように
「野垂れ死にする自由」
もありそうです。


私は学校を卒業してから大きな企業で28年も働きました。個人ではとても不可能なことを組織が成し遂げることも実際に体験しましたし、組織ならではの「内部損失」(組織を維持して機能させるための「本業以外」の仕事)も十分に味わいました。この経験は今になってとても生きていると思います。両側を見てきたからこそ現状のありがたみや限界がわかる。日々しみじみと喜びを感じて仕事ができるし、歩くときに踏む足元の氷がところどころ薄いのもわかる。


先日は外国の顧客と直接取引をする機会がありました。英文で見積書を出し、基本契約を交わす。支払いやキャンセルの条件を確認する。以前にプラント工事の見積書や契約書を扱ったときを思い出します。今までの経験から言えるのは、こうしたことも繰り返していくといつの間にか特別のことではなくなるということ。ときには痛い目にも遭いながら…。



コジュケイはいつも丸々。人間を気にする様子もありません。

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