同じ話者が類似の場面で話す動画が見つかりました。聞いてみたところ端正な語りながら(いや、むしろそのために)情報の密度が高く、逐次訳でも気を許せません。同時通訳では
「これは…。とても無理だ。こんなのをだれがすらすらと同時通訳するのだ?」
と思いました。
同じ箇所を数回練習してみてもなかなか追いつけません。苦手意識を強めてもしかたがないと思って、あまり繰り返さずに授業に臨みました。
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で、やっぱり授業でも同時で黙り込んでしまう部分が多かったのです。そこで講師の一声が。
「Shira さん、この部分、黙っていなくてもいいのでは?」
ああ、そうでした。与えられた役割はお客さんに話を理解してもらうことなのです。自分で納得できる「きちんとした英文」を作っている場合ではない。
「この部屋で両言語がわかるのは自分だけだと思いなさい」(注)
という教えを思い出す必要があります。かっこ良い訳なんか、できるわけがない。で、それならどうする。
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英語としては若干の破格ながらも、聞いた人が理解できる程度に情報を出していくしかないんです。不思議なもので、こうして何か口に出してとっかかりをつかむと、そこから自分なりに改良していくことができます。
「私は訳せる」
と思うことが重要でした。
「おいら、とってもできねえよ…」
「何を言ってやがる。手足の揃ったおまえにできないことはひとつもない。人間はできないと思ったら、まっすぐに歩くことだってできやしねえんだ。…」
(浅田次郎 蒼穹の昴)
注:実際には通訳の場に通訳者よりも両言語に通じている人が座っている可能性が高くなりつつあります。