何か書くと実は
「自分が正しい」
ことを外に言って回りたいのが主な動機なのかもしれないというお話です。
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「これだけで通訳者になれる」
「何年も勉強しなければなれないのは実は思い込み」
といった誘い文句の通訳者養成講座は過去にも現在にもありましたし、将来にも出てくるでしょう。
こうした広告を見て
「そんなに甘いものではない」
「こんな講座に引っかかる人がかわいそう」
と声を挙げる人もいます。私も心の中ではそうした批判に同意しています。それでも
「我こそは地の塩なり」
とばかりに懸命にそうした広告や広告主を責めるつもりはあまりないのです。
今では調べれば通訳がどんな仕事かすぐにわかりますし、通訳者もいろいろと発信しています。たぶん放っておいて大丈夫なんじゃないかと思うんです。それに、そういう広告を信じる人は私が何か書いても読まないだろうし、仮に読んだとしても行動は変わらないと思うし。
「いや、貴重なお金を捨てることになるからかわいそうではないか」
という声もありますが、考えようによっては中古の軽自動車を買うくらいの、あるいは海外に旅行するくらいの代償で夢が見られるとも言えます。ひょっとするとそれがきっかけで通訳者になるかもしれないし、職業や自分の生活についていろいろ考えることになるかもしれません。
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コメを腹いっぱい食べたい、という伝統。ネパールの国民食「ダルバート」。肉以外はおかわり可能というのが流儀のようです。肉のスープカレーも「具なし」ならおかわりできます。