会議時間を短縮するために同時通訳の需要が多いのですが、逐次訳が必要なときもあるのではないかというお話です。
▼
たとえば過去の成功体験の延長から離れるために新しい考え、それも自己否定を含むような情報を取得するとき、同時通訳でどんどんと訳が進んでしまうよりは逐次訳で
「ハラに落ちる」
時間が必要かもしれないと思う場面を今年も何度か異なる業務で見かけました。
同じ言語を話すときには不要な通訳という人工的な過程が介在することで付加価値が生まれるような気がします。
▼
いっぽう著名な話者による講演ではある程度予期していることばかり聞こえてくるときもあるでしょう。多様性の重要さや世界平和の推進など。こうした場合には同時通訳で臨場感を得たほうが全体としての効果は大きいかもしれません。
▼
高品質の逐次訳には単に言語サービスを越えた何かがあるのではないか。ちょっとそんな気がしました。
▼
ナンディニ虎ノ門店で食べる菜食ミールスは実においしい。チャイ(インド風煮出しミルク紅茶)の供し方が斬新でした。トリチェリの真空を思い出します。