50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2019-08-22 Automatic にご用心

慣れている行動には落とし穴があるというお話です。

会社員勤務時代に新橋駅で銀座線渋谷行きに乗り換えていました。何年も通っていたのでほとんど考えていません。階段を降りて右に曲がって改札をくぐり、右側の階段を降りる…。

そして数年後。フリーランス通訳者として銀座の現場に向かうときにやってしまったのです。反対方向の渋谷行きに乗ったのです。
「次は虎ノ門
のアナウンスを聞いてしまったと思いました。


それ以来出かけるときには必ずどの駅で降りるかを確認するようにしています。しかし、この
「確認するようにしています」
は実に頼りない。もっと機械的に簡単に対処しないと危ないですね。プレス機は両手で同時にスイッチを押して作動する。そうすれば手が金型に入ったままということはあり得ません。電車の乗り換えに何か良い案はないでしょうか…。


そして今だから言える危ないHH(ヒヤリ・ハット)。

福島県いわき市の出張の次週に同県福島市の出張がありました。共に震災関連の業務です。いわきから自宅に戻るときに来週の指定券も買っておこうと思いました。そこで常磐線特急「ひたち」で「いわき駅」まで買ってしまったのです。本当は東北新幹線で福島駅なのですが…。二つの仕事の親和性が作用したのでしょうね。

そして出発の前日に自動車を修理に出した帰り道、バスに乗っている間に手持無沙汰なのでメールを何気なく見ていたら集合場所が
「福島駅」
ではないですか。あれ、福島駅って…。

そのまま家に帰らず横浜駅まで行って切符を買い換えました。危ないところでした。


あのままいわきに着いてお客さんから電話がかかってきたらと思うとぞっとします。
「お待ち合わせの場所にいるのですが…」


慣れで考えずに行動してしまうことを米国人は automatic と表現していました。


これは無難な automatic。福島駅近くの「マナズ」。完全野菜料理のインド料理店です。肉を食べようかというときにはもう少し歩いて「絵夢」。

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2019-08-21 返事は早く

礼儀より時期が大切というお話です。

エージェントから照会があったときにはなるべく早く返答をすると感謝されると思います。

これは自分で通訳業務の元請けになると骨身にしみてわかります。

通訳者の引き当てなしに顧客に見積や提案は出せません。機材(ブースや簡易機器)の手配も通訳者を押さえることが前提です。そして顧客も機材会社もいつまでも待っていてはくれません。確度の高い引き合いがあればそちらが優先されます。


「yyyy年mm月dd日のこんな業務、どうですか?」
と照会メールを発信して30秒以内にそっけなく
「対応可です」
と返事が来る通訳者と、1時間後に
「平素は大変お世話になっております…(以下略)」
という回答がある通訳者とを比較すると、前者のほうが好印象なのは間違いありません。次に進むことができるのですから。

エージェントは顧客と通訳者との双方に連絡を取り、その回答が来るまでは次の行動を決められません。待つ身はつらい。待っているうちに競合がその売り上げをさらっていくかもしれません。


通訳業務の受発注は現代産業のなかでも生産性が驚くほど低い分野だと思います。あっちに連絡し、こっちの返事を待ち、変更があればそれは他に波及して調整が必要になり…。数枚の資料を紙で送れと主張したりささいなことをメールで問い合わせる通訳者もまだまだ多い。

想像してみてください。エージェントのコーディネイターは30件ほども同時進行で通訳案件をかかえています。1通のメールを送るときには、受信者の in-box に 30 の未読が積み重なることを想像してみるべきではないかと思うのです。


ファミリーレストランチェーンもメニュー開発がんばってますね。

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2019-08-20 実は基本しかない

通訳には応用という概念は似合わないのでは、というお話です。

「△△通訳」という表現はたくさんあります。IR通訳・会議通訳・工業通訳・ガイド通訳・医療通訳・遠隔通訳など。まだまだたくさん。

それでも実際に何をするかというと驚くほど似ています。音声を聞いて、別の言語にしてそれを音声で伝える。根本のところでは通訳は1つしかないのかもしれません。


夏の定期点検で英語の表現・語法・文法を確認していますが、通訳技能の基本的なところも少し異なった方法で訓練してみようと思います。

一般社団法人日本会議通訳者協会の活動に多大なる理解・協力を寄せていただいている鶴田知佳子さん(東京外国語大学名誉教授・東京女子大学教授)の著した本(共著)を使ってみたところ、
「この本の良さは通訳者として世に出てから、あるいは通訳技能を教えるようになってからわかる」
ということをしみじみ思いました。

よくわかる逐次通訳
(ベルジュロ伊藤宏美/鶴田知佳子/内藤稔)東京外国語大学出版会


特に私にとって役立ったのがパリ第三大学通訳翻訳高等学院の教授方法の紹介です。通訳の本場ヨーロッパで長年培われてきた理論と実践とにはやはり厚みがあると感じました。そして、この厚みは私が通訳学校に通っていた当時には理解が難しかったものかもしれません。通訳の実務を経験し、通訳学校で教えてみてしみじみわかるような…。


暑さで疲れが知らず知らずのうちにたまっているかもしれません。みなさんもご自愛されますように。

pho bo (牛肉スライス入りスープ米麺)には香草がたくさん付いてきます。ミント・コリアンダー(香菜)・レモングラス

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どこかで食べた記憶のある香り。何だろうと思ったら焦がしネギでした。この店の pho bo には牛肉がたっぷり。

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2019-08-17 盛夏

暑いですね。雨も風もあったり。

多くの方々が休みを取って帰省したり旅行したりする期間に3日間の通訳業務がありました。仕事ながらも涼しい場所への出張もあって季節感がありました。

都心での移動が楽でいいですね。地下鉄がすいていて感動的ですし、朝のカフェでは空席を求めてさまよう必要がありません。

皆様もお疲れの出ませんように。


私の夏休みはこれでした。2011年のデビュー以来ずっと聞いてきた Heavenstamp のボーカル Sally と 2017年からライブによく通うマキアダチとが同じステージで合作の曲を歌うとは。

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2019-08-14 ネットワーク

フリーランス通訳者にこそ「ゆるい、しかし確かなネットワーク」が重要というお話です。


フリーランスは自由業と書き表すときもあります。

フリーランス通訳者は業務を引き受けるかどうかを自分の裁量で決めることができます。実際には取引先との関係や収入のことを考えると完全に自由とは言い難い面もありますが、被雇用者(会社員・公務員)のように使用者の指示に従わなければならないということはありません。


しかし、自営業である故の制約もあります。引き受けた業務を本人が提供する必要がある点です。この点ではリサイタルを開く歌手と少し似ていて、興行債務の提供者が登場することが期待されています。

これがとても難しい局面を作り出すときがあります。通訳者がその日・そのときに通訳役務の提供ができない場合、どうするのか。本人の病気・けがはもちろん、家族の事情によっても出かけられないことは起こります。

私も老親の手術で病院での待機を求められたことがありました。偶然にも仮で予定していた業務がなくなってほっとしたものです。前もって日程がわかることだったらエージェントに相談して対処できるかもしれません。しかし人生には急なできごとが起こります。子の具合が悪くなったら、親戚に不幸があったら、事故や犯罪に遭ったら…。


こうしたときに思い知るのがフリーランスは実は不自由業だということ。組織で働いていればだれかが自分の代役をしてくれます。「絶対にあの人がいなければだめ」と言われていた商談でもプロジェクトでも、他の人が代わりに担当して無事に収まる場合は多いのです。自営業者は自分で解決する必要があります。


こう考えるといざというときに頼れる通訳者仲間を持つことはとても重要です。細かい理由を説明しなくても電話・メールで
「お願い」
「わかった」
というやりとりができる仲間の値は千金です。

通訳者相互の信頼関係にはプロフェッショナリズムの裏打ちがあるように思います。いざというときに頼れる・頼られるというのも通訳者の実力として重要な要素ではないでしょうか。

2019-08-12 なるにはなったが

通訳者としてなんとか5年は過ぎたが、というお話です。

私にとっては通訳者としての記念日が2つあります。

2014年3月5日。この日初めて「求めに応じて報酬を受ける」通訳を請け負いました。

その後待機時間が長い少し特殊な別の業務を5回担当しました。


その次が第二の記念日となる 2014年8月11日です。この日から出張先で2週間の通訳業務を担当し、その後の通訳者としての歩みに大きな影響がありました。2015年の中頃まで断続的に同じ客先で合計120日以上の稼働につながった仕事です。


最初の3年間、つまり 2014・2015・2016年は生活の糧というには売上(件数)がとても十分とは言えませんでした。通訳者関根マイクさんが著書に書いているように下積みは必要なのでしょう。地道に回数を重ねて少しずつ仕事を回してもらうようになり、2017年には年収が大きく伸びました。
「なんとかやっていけるかもしれない」
という手ごたえがありました。その翌年2018年も大きく売り上げを伸ばすことができ、ようやく職業通訳者らしくなったような気がします。


さて、通訳者らしくなったら次はどうしましょうか。長年勤めた企業を退職するという大きな賭けに出たので、「通訳者になる」ことだけでも自分にとってはある種の達成感を与えてくれます。しかし、通訳をしているといろいろと次にすることが見えてきます。

  • ある程度の件数を確保し、報酬を拡大し安定させたい。通訳の依頼とそれに伴う報酬はお客様からの「清き一票」だと思います。
  • 通訳技能を伸ばしたい。完全な通訳というものがない以上、常に「原発言への近似」と「ごく普通に聞こえる」ことを目指したいですね。


自営業者になったことのありがたさを日々感じています。生活が規則正しくなり、早寝早起きが続いています。業務時間が短いときには電車も空いていて助かります。


行ってみないと次は見えない。

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