50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2019-04-07 忠実な通訳(1)

知ったような顔をして
「通訳は『何も引かず・足さず・曲げず』ですよ」
と言っているだけではこの仕事の職業倫理と生活の糧としての考え方がなかなかわからないのではないでしょうか。

いろいろな状況が起こりえます。

二国の閣僚が記者会見を終え、レセプション会場に入った場面を想像してみましょうか。日本側が前もって仕入れた知識で通訳者を介して話しかけます。
「お嬢様は有名な△△大学に進学されたようでなによりです」

しかし進学したのは実際には息子さんです。記憶違いですね。通訳者はこの間違いに気づきました。さて、どうするか。

「何も引かず・足さず・曲げず」なら、あえてそのまま訳す。相手のことについて調査不足で息子と娘を間違えているのを伝えるのも重要だ、と割り切る立場もあるでしょう。

これを聞いた相手国の大臣は
「ん? 通訳者が間違えたか、あるいは調査不足だな。いずれにしろ私も(我が国も)少し軽く見られたものだ」
と感じるかもしれません。日本側が望んだ友好ムードに若干水を注すことになりかねません。

この対極として通訳者が勝手に修正して訳してしまうということも可能です。相手はうんうんとうなずいてお礼を述べ、友好ムードが高まります。両国関係の進展という大きな目標の実現につながる通訳です。

あるいは通訳者は自らの責任を回避するために日本の大臣にそっと耳打ちする手もあります。
「進学したのは息子さんですよ」
「あっ、そうだった。そう訳してください」
「えっ、そうか? わからんから、長旅おつかれと言っておいてくれ」
これでも丸く収まります。


上記の例は通訳の成功とは何かという難しい話を含んでいると思います。狭い意味での(言語・表現の変換)「通訳の成功」と「場の成功」とが少し食い違うこともあるわけです。

そしてこの難しさに輪をかけるのが
「通訳者は依頼者の利益になるように行動せよ」
「通訳者は依頼者の利益を損なってはならない」
という通訳者の職業人としての姿勢。依頼者がお金を払って通訳を依頼するのは、達成したい目的があるからなのです。


以上はこのブログ記事のために設定した架空の話ですが、実際にこうしたことはよく起こります。
「それではどうしたらいいのですか」
と受け身で「正解」を求めているだけでは危ういと思います。自分で考え、他人の意見も聞き、場面ごとに顧客の利益になりつつも通訳者として後悔しないようにその場で決めていく覚悟が必要だと考えています。


なぜかビリヤニに添えたスプーンとフォークに紙が巻いてありました。

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