「なんとか崩れ」ということばがあります。縁起でもありませんが、
「通訳くずれ」
といった表現で使うもの。
ア(多く身分・職業などを表す語に付いて)以前はそうであったが、今は落ちぶれている人。また、それになれなかった人。「作家―」「役者―」
イ 目指したことが途中でだめになること。「併殺―」
(デジタル大辞泉)
「くずれ」を鋭い観察で定義していた記事を読みました(残念ながらどこで見かけたのを思い出せないのですが)。それによると、「くずれ」というのは落ちぶれたりなれなかったことが連綿と気になっていて、その対象や成功した人に対して屈折した感情を持つ状態だというのです。気持ちに何らかの区切りをつけている場合にはもはや「くずれ」ではない。過去のこととして一応の完結を見ている。辞書の例でいうと、「作家くずれ」というのは作家になれなかった(ならなかった)ことをいつまでも残念に思ったり、他人の著作を必要以上に批判したりする人。
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なぜこんな話を持ち出したかというと、私の中国語がかなり失われたことをはっきりと自覚したからです。通訳訓練を開始した時からまったく学習をしてきませんでしたが、1年くらいは大きな衰えを感じませんでした(1年半後の台湾旅行でもすべて中国語で用が足りました)。それが2年になると急に使えなくなってきます。がっくりと失速、という感じです。
学習したものが使われずに失われていくのは残念ですが、不思議と淡々と受け入れられるものですね。日本語・英語の通訳を志す者として、私には中国語を維持したり上達させる必然性が(今は)ないのです。
少しでも復習していけば衰えの速度を遅くすることが可能かもしれませんが、それはもう少し先のことになると思います。今はただ英語通訳に注力するのみです。ここにやせ我慢はありません(って、わざわざ書いているから、本当はあるかも)。
中国語学習は良い思い出だったと美化するほど人間ができているわけではないのですが、時間的な投資を残念に思ったり現在学習できないことを悲しんだりすることはないですね。
自分は「中国語学習者くずれ」ではないのだろうと思います。