通訳訓練をするとき、自分なりに
「これは良かったかもしれない」
と思うことがあります。
「通訳の学習法」
という何か確立したものがあって、それに従って訓練すればよいのではないかという誘惑を早めに忘れたことです。
- 「正しい」ノートの取り方があるのではないか。
- リプロダクションには「正しい」素材や方法があるのではないか
- 私のシャドウィングは間違っているのではないか
正解はあるようなないような、というユルい感じで学習したのが私には合っていました。
人をつかまえていろいろ尋ねたり、関連する文章を追いかけるといろいろと情報が入ってきます。ここで忘れてはならないのは、
「こんな方法が役立った」
「こう練習すべきだ」
という話は
- 体験した人にとって「たまたま」良かったという事後報告であって
- 別の方法をとった場合との比較対照はなされていない
ことですね。
自分でいろいろと試してみて
「ま、良いのではないか」
と思ったら、ある程度時間をつぎ込むリスクを負うのが通訳訓練なのでしょう。
そして、Aという練習方法とBという練習方法とは、実はあまり差がないことも多いんじゃないかな、と思います。