企業勤務で専門にしていたことがいくつかあります。
しばらく前にちょっとした縁でいただいた通訳業務の内容が私の経験してきたものでした。
話が本当にわかっていると、日本語でも英語でもあまり関係ないような気がします。ノートもほとんど取りませんでした。授業では四苦八苦していますが、本当になじみのある内容だと気がつくとウィスパリングができています。きわどい内容はきわどく訳せています。
この「話者との一体感」はちょっと不思議な体験でした。
打ち合わせはかなり敵対的な感じで始まったのですが、それでも淡々と訳す余裕があったと思います。
人間の精神活動は「あちらに集中するとこちらがお留守になる」というものなのでしょう。内容が 100% 近く理解できていると、話者の意図(押し・引き・含みを持たせる・責任回避 等)も表現することができますね。元発言を聞いた瞬間に言うべき訳文がアタマにきっちり格納される感触を(数回ですが)味わいました。
なるほど、通訳者や翻訳者には専門領域が必要なわけです。「言ったとおりに」なんて、訳せるはずがありません。内容がわかっているから「説明してさしあげる」ことができるのではないでしょうか。そして、内容がわかっているからこそ通訳者が黒子に徹することができる。足さず・引かず・歪めずにその場で表現するなんて、余裕がなければできそうにありません(そうでない人もいるとは思いますが)。
ただ、残念なのは私のかつての専門領域では通訳が必要になる場面がごく少ないんですよね…。
専門を絞ったほうが通訳者として競争力を高める可能性がありそうだ、ということはよく分かった気がします(あたりまえか)。