通訳学校に通っていたときの記憶が希薄になりつつあります。修了して1年半以上になりますし、経験した仕事の印象が強いためかもしません。
初めての授業から同じクラスの仲間や講師についてはあまり気にしていませんでした。気にすべきは自分の訳が第一で、その他は、まあ、副次的。
ですから、あのクラスがどうだった、このクラスの仲間はこうだった、という感想もあまりないような気が…。ただ、最後の課程では仲間の訳出にヒヤリと肝を冷やしたことはありました--この人に追いつけるだろうか、と。
通訳学校はその道の達人(=講師)や志を同じくする仲間が自分の訳を批判的に聞いてくれる場だと思っていました。ある程度改まった環境として通訳学校は格好の場です。いろいろと考えて練習して、その成果を試してみる。講師に指摘されて気づくこともありますが、それ以上に自分で思い知ることがあります。
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学校や授業を気にするより、自分の人生の時間を「燃やしている」ことの危機感が大きかったと思います。
今日生きてるだけで 尊い花を千切っている
(エーデルワイス 作詞 Pockets of Demo)