通訳での訳語・表現の決定は瞬時です。
What is the make and model of the car? (何ていう自動車ですか)
という質問が英国人からあり、マーチです。
と日本人が答えたとしましょう。
この答えをどう訳すか。
- It is NIssan's March.(マーチです)
- It's a March, Nissan's compact.(日産のコンパクトカー、マーチです)
- March. It's called Micra in the UK.(マーチです。英国ではマイクラです)
などなど(この設例は私の創作です)。
どう訳すかは「訳ってなんだ」という問題にかかわる気がします。
足さず引かず曲げず、の原則なら1でしょうか。この答えを聞いた英国人は「マーチってどんな車ですか」という次の質問をして、それがきっかけで話がなめらかに進むかもしれませんし、自分の知らない名前を聞いていらいらするかもしれません。
英国人が日本人と同じ心象を得るようにするには、という観点だと2かもしれません。あ、小さな車ね、とわかる。
この問いが自動車の種類を事務的に聞き出すものなら3が最善かもしれません。
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すべての場に当てはまる唯一の答えはないだろうな、と思います。その場の流れや話者・聞き手の意図を総合して自分の判断を信じて瞬間的に訳出するしかない。
通訳では何か画期的な学習法や技法というものはあまり出てこない気がします。こうするべきだ、ああするべきだという話はいろいろありますが、たいていは両方とも(条件付きで)正しい。そして、正解は両極端の間のどこかにあることが圧倒的に多いはず。通訳は世の中のさまざまなことどもと同様に妥協という美学の産物だと思います。
「こう言ったら訳は必ずこうでなければならぬ」
というのは悪魔の取引の声。あれこれ悩むことがなくなる代わりに核心に迫ろうという道が閉ざされる。
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暑かった夏を過ぎ、落ち着きを取り戻したかのような川べりです。