鈍感でありながら敏感であれ、というお話です。
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通訳音声を聞く人に決して伝えてはいけないのは
「通訳者が何かを探そう・読み取ろうと苦労している気配」
です。元の発言にないものは何であれ加えてはいけないのですが、そのなかでも「迷い」は特に避けるべきだと思います。
まず第一に通訳音声を聞く人が話者の発言をあるがままに受け取れなくなります。迷いなく言い切っている発言を自信なさげな通訳で聞くのは問題ですね。
第二に通訳者に対する評価が厳しくなります。
「この人の通訳をこのまま聞いていって大丈夫かな」
と思わせてしまう。その日の通訳を聞くときに「割り引かれて」しまいますし、その後の受注にもよくない影響があるかもしれません。
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自信がないときはそれなりにおとなしくしていろ、という風潮は日常のあらゆる場面で見聞きします。しかし通訳の仕事が進行しているときの「反省の色」は状況の改善につながりません。不安は心の中の棚にそっと上げて、後で取り出して反省の材料にすべきでしょう。
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この「後で取り出して」というのも重要です。仕事中は一種の「鈍感」で乗り切って、その次には「敏感」に振り返って改善を考えないと。このブログで以前にも引用した Andrew Grove (Intel 元社長)の著書の題
Only the Paranoid Survive
が示唆するものは大切だと思っています。
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自分ではそれなりにできたと思う仕事のあとにあえて自らに問うようにしています。
「よくできたと思ったが、お客さんは『次からは別の通訳者にしてくれ』と言ってきた。なぜなんだ」
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東京駅京葉線乗り場近くのパン販売・カフェ「Rød」ではクイニーアマンをなぜか底を上にして並べています。客が盆に平らな面を下にして乗せても会計のときにまた底を上に。
これがあるべき姿らしい。
こう置きたくなるのだけれども。