こんな場面を想定してみてください。
英語話者が来日し、日本人数名と順に個人面談をする。英語を使わない人もいるので通訳者が手配されました。
なかには英語をかなり自由に使う人がいます。
「話者に勝る通訳者はありえない(本人が伝えられればなにより)」
ので、通訳者は黙っています。
途中で表現に自信がない部分があったのか、通訳者に確認をしました。通訳者はその場で最も適切と考える表現を出してみます。
話者はその訳が気に入ったようで、深くうなずいて採用してくれました。面談の相手側もわかりやすい返答があったので次の質問から内容が深まり、核心に迫っていきます。
「あー、そうですよね。それなら…」
日本人が無意識に日本語で考えを口に出しました。通訳者は反射的に訳を出します。
この瞬間からすべての発言で通訳者を使い始めました。
「そのほうが良い結果につながる」
と判断したのでしょう。
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そして当然この逆も起こります。
通訳を使って面談が進み、どこかで
「うーん、なんか違うんだよな…」
とつぶやき、自分で英語で話し始める。通訳者は軽い敗北感を胸に、しかし平静を装って次の出番を待ちます。
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いつものことですが、一喜一憂すべからず。そのときにはそのときの場が生まれ、流れができます。
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以前はあまり食べなかった崎陽軒の「シウマイ弁当」を最近はおいしいと感じてときどき食べています。買うのはいつも横浜駅中央店、元祖家元・本家本元です。食べるのは特急「ひたち」や上越新幹線・東北新幹線の車内が多いですね。