50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2016-11-08 コインの両側

どんどんと頼もしい記事が増えている「英語家Mitsukiの通訳ブログ」。

同時通訳、備忘録」という記事を興味深く読みました。

元の日本語にピタっとくっつきすぎると出来ないんだよなあ。 

日本語は英語と大きく違いますから、日本語の単語の意味そのものや語順、文法にとらわれすぎると英語の訳出が難しくなるというお話だと理解しました。


おもしろいと思ったのは、私が最近感じている課題は
「元の日本語にもっとピタッとくっついて、入り込まないと」
ということなんです。

他人が話すことですから、通訳者が話者と全く同じ理解をしていることはまずありません。

理解は常に誤解の総体にすぎない (村上春樹 スプートニクの恋人

それでも少しでも話者の言うことに寄り添いたいと強く願うので、もっとピタッとくっつきたいのです。くっついてくっついて、私の脳裏に(誤解ながらも)少しでもまともな理解が映し出されれば、それをできるだけふさわしい英語で繰り出していく。

英語と大きく違う日本語。これをアメ細工のようにひん曲げたり、分解して組み立て直したりして英語にするのではなく、できる限り自己に取り込んで、その心象にふさわしい表現を「英語の引出」から選び取って素早く出していく。


おそらく Mitsuki さんが書いたことと私が感じていることはそんなに違ったことではないと思います。同じようなことを表と裏とから見ているのかもしれません。私が言う「『英語の引出』から選び取って素早く出」すというときに、元の日本語の字句に引きずられるな(単語や構文のレベルで似せようとするな)ということを Mitsuki さんは書いたのだと理解しています。

同じようなことを考えていてもその表現方法がずいぶん違うものになるな、と興味深かったので書き留めてみました。