通訳の練習をしていると脳の活動という資源をどう配分するか(意識的・無意識的の両面で)が問題だとしみじみ感じます。
同時通訳では時間的制約がたいへん厳しいのですが、内容に親しみがあると訳文をわかりやすく組み立てたり表現を工夫する余裕がわずかながら出てきます。遅れる予感がしてから少し急いでもなんとか間に合います。
知らない内容だと聞いて内容を追う負担が高くなり、正直なところ
「訳してる暇なんかないよ~」
という状態になりかねません。自分の訳を監視する余裕も消し飛んでしまいます。
▼
通訳の練習には反射速度を速めたり発言を解析する力を高めたりという側面もありますが、様々な内容・文章を経験しておくことも大切だと思うようになりました。
「こんな話題のときには、あんな話が出てきやすい」
という知識の累積は大きな助けになるのがだんだんわかってきました。
世の中のことすべてをことばで表して聞いてわかる・言えるようにすることはできませんが、少しでも対応範囲を広げておくのは非常に有効ですね。
Ecclesiastes 1:9
What has been will be again, what has been done will be done again; there is nothing new under the sun.いままであったことはこれからもある。いままで起こったことは再び起こる。太陽の下に新しいものは何もないのだ。(旧約聖書 伝道の書 1-9)
家から歩いて20分のところに乳牛がいます。神奈川県にも牧場はけっこうあります。ソフトクリームが人気。