専門家による講義形式の話を逐次で担当する仕事がありました。
よくまとまった資料があったのでしっかりと読んでおきました。話者の追体験がある程度できたように思います。
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話者は話の一区切りがやや長く、通訳にはノートが必要になりました。しかし、訳出のときにノートを目で追うという感覚があまりありませんでした。資料を読んでおいたこともあり、話の内容を鮮明に記憶できたようです。
ノートを書くときに話の内容が整理されるので、訳出のときには逐一ノートを頼りにする必要がなかったような気がします。
ノートの逆説:
ノートが順調に取れるときには、訳出のときにノートを必要としなくなる
(対偶:ノートを必死に取っているようでは訳出に役立たない)
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通訳訓練開始の時期にノートを使うのは害のほうが多いような気がします。ノートを使うと「通訳の勉強をしている」という気分になれますし、話を再現できないのはノートがうまく取れないからだと思いがちです。
でも、訳出がうまくいかないのはノートのせいではないでしょうね。おそらく話がわかっていない。あるいは記憶しようと思うあまり筋を追っていない。
アルク社の「翻訳・通訳のトビラ」に良い記事がありました。
現役通訳者のリレー・コラム
インタースクールでも受講者に自分の訳を書き取らせて改善案を作らせる授業がありました。負荷が大きい作業ですが、通訳の質の向上ををまじめに考えるなら避けて通れないように思います。