先日中国語の教材を処分しました。人生で残された時間を考えると十分使えるようになるまで学習することはできそうにありませんし、外国語を使う時間があればそれは英語に割り当てようと思います。
学習を始めたのは以前の勤務先で必要になる気配を感じたからでした。言語学習者の増減は「カネになるか」を正直に反映します。1980年代の香港などは日本語を話す店員の獲得が高級ブランド店の急務でした。今では標準中国語(普通話)を話す店員がその座にとって代っています。
今の私にとって「カネになる言語」は英語ですね。
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片づけていて気づいたのが教材の少なさです。
「あれ、これだけ?」
と思いました。
2つ目の外国語として効率よく学習できたからかもしれません。学習の方法や教材についてはあまり迷いませんでした。
「残念」
とか
「すっきりした」
という感情は湧きませんでした。しばらく前(2012年)から中国語学習とのお別れが進んでいたからでしょうね。学習とは離れても知識は役にたっています。Zhou Enlai が周恩来で、Hebei が河北で、Guanxi が関係(connection)であることがわかりますし、人の名を呼ぶときに正しい声調を使えます。
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アルコールを止め(2008)、二輪車から降り(2013)、中国語学習を停止。良い感じです。