ちょっと変わった通訳業務のお話です。
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市場調査(market research)や商品開発で消費者・利用者の意見を聞く手法に深層インタビュー(in-depth interview)があります。聞き取り担当者と参加者とが一対一で個室で対談します。くつろいだ私的な環境を作り出すことで本音を聞き出しやすくなります。
「インド料理を作るときに最もめんどくさいな、と思うことはなんでしょうか」
「必要なスパイスがひととおりパックに入った商品がもしあったら使ってみたいと思いますか」
「これは試作品なのですが、第一印象をおっしゃってみてください」
「いくらだったら買ってみようと思いますか」
「ホール(丸)のスパイスを直前に挽いてみたいと思いますか」
※この例はフィクションです。私が担当した業務とは関係ありません。
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参加者合意のうえ録音・録画がなされ、言語化されないメッセージ(視線・体の動き)も読み取ります。答えが「はい」でも体がいやがっていることもありえます。
そして、開発チームが日本語を解さない場合に通訳者が動員されます。同時通訳していくことで参加者の反応全体をその場で観察し、必要があればインタビュー担当者に追加の質問を依頼できます。
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この仕事を初めて経験したのは偶然からでした。通訳者仲間が急な事情で現場に行けず、急に呼ばれて代わりを務めたのがこの仕事だったのです。
それ以来異なる産業分野でいろいろなインタビューを訳しました。密室にこもって本人の知らないところで通訳し、その訳出が開発・戦略に大きな影響がある点に取り組みがいを感じます。参加者の一瞬のとまどいや不安、不満まで等価で伝える重要性があります。「えっと」と「うーん」とでは心の動きは違う。「ああ」と「へえ」でも違う。言葉のやりとりに脈絡がないことも多い。
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国際会議や取締役会とは違った緊張感があります。最近はこの仕事を打診されるのが密かな楽しみにもなりました。話者に極限まで寄り添って訳すという点で、それを同時通訳でおこなう点で特別な仕事だと感じています。