50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2018-04-27 通訳者と手袋

講習会の通訳は好きな仕事のひとつです。いろいろな幸運に恵まれてきましたが、初めての本格的な講習も非常に良い条件で経験できました。もう数年前のことです。以前に自分で研究した内容で、講師も同席通訳者もとても親しみやすい人でした。同じ内容で複数回異なる受講者を相手にするという貴重な経験でした。同僚の通訳者と疑問点や改善について話をして、講師ともいろいろと確認ができました(「あの部分はこういう意図なのですか」、等)。

最近もかなり専門的な内容の講習を担当しました。以前にも担当した講師なので、通訳者にとって第一関門の「内容の理解」の負担はかなり低くなります。そうすると聞き手にとって最も有効な表現を使おうと通訳者は「はりきってがんばる」誘惑が強くなります。「ノリノリ」の通訳の誘惑です。聴衆の反応が非常に良いと
「よーっしゃ!」
と思うわけです。


しかし今回は少しだけ進歩がありました。話者と通訳者とが足並みを合わせて(in sync)参加者も身を乗り出しているのですが、通訳者の心の片隅に冷静な一角が残っていたのです。
「話者は本当にそう言っているか」
「参加者に受ける(刺さる)表現を使おうとして踏み外すことはないか」
「話者ではなく通訳者が表に出てしまう危険はないか」


もう20年あまり前に聞いた英語のインタビューを思い出します。英国の有名な演劇学校の教授の発言です。役者は役になりきって我を忘れてはいけない。演じることが手袋だとしたら、役者の個性は手袋の中の手のように見えないながらも常に存在するのだ、とう内容でした。企業における執行と監督ではありませんが、通訳をしている自分をどこかで監視することも必要なのかもしれません。常時可能かどうかはわかりませんが、通訳をしている最中でもどこかの一瞬で
「今日はどうかな」
「話者に忠実かな」
「聞き手の負担はどうかな」
と自分の通訳を見回すことは必要なのだろうと思います。


近所の犬「さく」です。通訳学校に通い始めたときにもう成犬でしたから、かなり歳をとったはず。この日はとりわけ元気がなく心配です。

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