先日の記事で和田泰治さんのセミナーがとても良かったと書きました。お話や質疑応答の答えになんともいえない深みがあります。20年間通訳をしてきたという経験が何らかの裏付けになっているのでしょうか。
深みというと思い出すのがインタースクールでのセミナーです。その席では私も話をしたのですが、同校の平井聖一さんのお話が記憶に残っています。誠意のある、十分な情報を伝える話でしたが、それに加えてもう一つ何かがある。長年通訳をしてきた人が感じている通訳に対する「畏れ」とでもいいましょうか。
そういえば平井さんも20年ほど通訳をしていますね。
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以上の2回のセミナーから「20年」という期間がどうにも気になります。なぜ気になるのか。理由は簡単で、私にはこの20年がおそらく与えられないからです。
私は外面(そとづら)の良いことばかりこのブログに書いていますから(だって、悩んだりつまづいた話ばかりではつまらないでしょう?)、ひょっとすると40歳代から上の人に対して
「あなたも今からでもやればできる」
というメッセージを送ってしまっているのではないかと心配になります。
私も50歳を過ぎて幸運の連続でなんとか通訳専業と名乗れるくらいにはなりました。しかし、だいたい様子がわかるまでに10年かかればもう60歳代、上記の和田さんや平井さんのように厚みを持つまで20年かかったら70歳を超えます。もはや脂の乗った働き盛りとはいえない。
この厳しい現実が最近特に気になります。
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30歳代の人と同時通訳ブースに入り、運よく2人共に同じくらいの無難さで業務ができたとします。しかし、そのうちの1人はさらにあと20年経験を積み、実力を伸ばし、活躍の場を広げる機会がある。もう1人は10年もしたら体力・気力の衰えを感じ始めるかもしれない。
通訳現場に出よう、もっとうまく通訳をしようとだけ考えて走っているときには思いつかなかったことです。
これから通訳(に限らず何か新しい職業)を選択しようとする人にはぜひ考えてほしいことです。
A:「通訳者になりたい」
B:「なれるさ」
B:「なれたら、それからどうするんだい?」
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9月の最終週。まだセミが鳴いていました。