読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

50歳で始めた通訳訓練

会社員からフリーランス通訳者に転身。同時通訳ブースに入り、通訳学校の講師に。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2016-05-31 どこまでどのように話者に寄り添うのか

通訳の仕事場は少しずつ変わりつつあり、20年・30年前とはかなり違ってきているのではないでしょうか。

まず、客先の英語運用能力が大幅に伸びています。両言語を解するのは通訳者だけという現場は例外的になりつつあります。

英語を話すのに若干苦労する人でも、他人(通訳者)の理解不足や表現のまずさはすぐに気づきます。ちょうど調理人でなくても料理が不出来ならすぐにわかるのと同じ。従って、通訳者が保守的(保身的)な訳を出す傾向が強くなっていると感じます。つまり、
「どうしてそう訳したのですか」
と尋ねられたときに
「原文でこのように言っていたからです」
と説明(言い訳)が容易な機械的な訳を優先させがち。その結果、特に同時通訳は競馬中継のような高密度音声が当然になってきました。聞こえたものはとにかく訳す。聞いている人は音の洪水でたいへんだろうなと思ってもどんどん音声を詰め込む。

要約型の通訳は通訳者が原発言を編集するという一種の暴挙に出るのですが、聞き手が
「聞いた。わかった」
という実感を得る確率が高くなります。
「(イヤフォンで)耳元でピーチクパーチクうるさくてかなわん」
という感想を持つ聞き手は多いので、気心知れた要約型の通訳者を評価することもあるようですね。


「話者に寄り添う」のは永遠の答えの出ない課題のようにも思えます。発言者の一言一句には必然性がある。すべて拾い上げて訳したい。ただ、そうすると息せき切った訳になって聞いた人が消化不良を起こしかねない。それではかえって発言者の思いに沿わないことになるのではないか。

演奏家のように超絶技巧でも忙しさを感じさせない、そんな訳はあるのでしょうか…。