50歳で始めた通訳訓練

会社員からフリーランス通訳者に転身。同時通訳ブースに入り、通訳学校の講師に。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2015-11-22 仕事内容の変化

2012年4月に通訳学校の門をくぐり、2014年3月に同校関連のエージェンシー経由でフリーランスとして初めての通訳業務を経験しました。2015年3月に通訳学校を修了。いま振り返ると、この 3 年間は変化は大きかったものの少しのんびりとした日々でした。何かを待つような、準備中ともいえる期間。不安はあるが、根拠のない自信に支えられていた日々。


現在は通訳の入門者( un débutant interprété )として (注) 、特に専門を定めることもなく
「来た球は打つ」
とばかりにいろいろな仕事に出ています。仕事の内容も環境も毎回のように大きく変化します。「できるだけのことをして臨む」と格好の良いことを言ってはみても、人間が言葉を使う営みならどんなことでも仕事になりうるのですから準備は大変です。

顧客に満足してもらえただろうか。私が入ったことで価値は何か生まれたのだろうか。こうした疑問と共に、自分で感じる「出来具合」も気になります。
「自分で本当に満足できる通訳ができることはまずない」
と経験豊富な通訳者諸氏が感じているそうですが、業務後はまさしく
「あそこはこう言っておけばよかった」
「あの場面での話者の真意はこうだったのではないか」
と思うことばかりです。


こうしたときに以前担当したものと類似した仕事が回ってくると自分の変化を客観視できると最近感じます。初歩的な仕事なので、
「こーゆーのは、もーそろそろ卒業したいかも…」
と罰当たりなことをちらりと思ったりします。しかし、取り組んでみると自分が通訳を評価する目も肥えてきているので、粗が目立つと同時に以前からの進歩を感じることもできます。反応が早くなった。よく聞くようになった。落ち着いて訳出できるようになった…。

こうして自分の進歩をちょっと突き放して観察すると、その行く先( trajectory )についてもいろいろな思いが及びます。
「それでは、こんな練習をしたらどうだろうか」
「次の仕事にあの経験を生かせないだろうか」


「格が一段上の仕事」は客観的な場合もありますが(話者の知名度や通訳報酬の多寡で)、主観的にも存在するのだと思います。

(注:マルセル・モイーズのフルート教本を思い出したので、何となく仏語の気分。特に意味はありません。)