50歳で始めた通訳訓練

会社員からフリーランス通訳者に転身。同時通訳ブースに入り、通訳学校の講師に。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2015-11-03 話者に寄り添う

通訳の仕事の帰り道に低予算コーヒーショップなどで「ひとり反省会」をします。先週は4日間同じ顧客(場所はいろいろ)で通訳をしました。手軽なカフェがなかったので反省会は帰宅してから。

と思っていたのですが、寝てしまいました…。

そして明け方目が覚め、通訳でうまくいったこと、そうでなかったことを鮮明に思い出しました。その日のうちに「反省会」ができなかったから消化不良だったのでしょうか。


今回特に感じたのは、通訳者は話者が発することばを
「訳さなければならない『対象』」
ととらえるとうまくいかないな、ということ。耳から入って来る情報を向こうから飛んでくるボールであるかのように「打ち返してやろう」と扱うと良い訳が出ない。話者の人格に「入り込んでいく」ような感じがいいのかもしれません。

向かい合うのではなく、寄り添う。話者が外国語を話すとしたらこんなふうではないか、という姿を理想として(この表現はよく知られていますね)。

場合によっては不可逆な訳(訳出を訳し戻すと原文からやや離れる)になるかもしれませんが、その場ではその訳が最善なのだと確信をもって出す。そんな感じでしょうか。


あるいはこう表現してもいいのかも…。
「うまく訳さなくては」
というときには心の矢印が内側(自分)を向いている。まだ学習者である。
「この人に説明してさしあげなくては」
というときに通訳者になる。
「なんだかわからないけど、話者が乗り移った」
というときに一歩先に踏み出している。