今になって思うのですが、2012年から2014年まで、なぜ平然と明日を信じて通訳学校に通っていたのかがとても不思議です。
何かが憑(つ)いていたのかも…。
通訳者として世に出る(生計を立てる)難しさは人によって違うのでしょうけど、50歳を過ぎて企業を退職してフリーランスで、となると最近の例は寡聞にして周囲に思い当たりません。学校の友人に尋ねてみても同様です。
自分のことを振り返ってみると、人生の幸運をすべて使い果たして、ひょっとすると幸運の前借りまでして、なんとか恰好がついているのかもしれません。
- 家庭や経済状況、心身の健康が学習を許す状況にあった
- 首都圏に住んでいた
- 英語を使っていた
- トーストマスターズで英語のスピーチをしていた
- 初めてできた講座にちょうど入れた(タイミングは奇跡的かも)
- 「これこそ私のためにある」という仕事の紹介を受け、それが継続した
こうした要素のどれかが欠けていたら
- あきらめて他の仕事に就く
- 低収入にあえぎ、将来を見通しにくい
- 職場に留まって学校に通っている
ということになっていたのは間違いありません。ひょっとして紙一重の差だったのかもしれません(いや、今でも「危険の暗い穴」はすぐそこにある)。
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「続けていれば(通訳者に)なれる」
「続けていたからなれた」
という話は、その裏の事情まで知ってこそ意味があると思います。私はこうした話を見聞きしたときには、まったく経験がない状態から
「続けていれば XX 歳からでも国立大学の医学部に合格する」
「続けていれば XX 歳からでもトライアスロンで年齢別入賞ができる」
「続けていれば XX 歳からでも囲碁アマ5段になれる」
といった話と同じくらい難しいのだろうと考えました。何か自分なりの勝算がないとまず無理だろうと…。
学校の宣伝文句に
「XX 歳代からでも △△ になれる!」
といったものを散見しますが、実例としてどんな人がどのような経緯でデビューして、年間収入はいくらなのか、また、「サバイバルレシオ」はどのくらいなのかがわからなければ威勢の良い掛け声だけとも言えます。