通訳訓練に限らず、いろいろなことで情報の入手がたやすくなっています。1990年代くらいまではシャドウイングやリプロダクションという用語は現在ほど知られていたかっただろうと思います。
今やクリック一つで通訳学校のサイトから個人学習者のブログまで簡単に参照することができ、「知らないでいるほうが難しい」という状況かもしれません。
たくさんの選択肢が並ぶと
「通訳者をめざすならコレするのが常識らしい」
「どれが良いのだろうか」
という方向に意識が向かいがちです。
そして、いつのまにか学校や著名通訳者や著者やブロガーが学習の主人になり、学習者が僕(しもべ)となります。ここで恐ろしいのは学習者本人がこの事実に気づかなかったり認めようとしないこと。
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- 考えずに反応できるようになるよう、つべこべ言わずに練習する。辻静雄は鯛を千尾三枚おろしにしたといいます。
- それと同時にその練習がなぜ必要なのかを考える。自分に合うように変えるところはないか。他に方法はないか。誰の門を叩けばいいのか。
私のような後発者はこの両方の要素を併せて学習することが必要なようです。
その際に参考になるのは自分の目の前の山を越えて、その先を見ている人の経験や考えではないかと思います。
こんなことも通訳学校の存在意義なのかもしれません。