通訳訓練の要素としていろいろと紹介されていますね。
- シャドウイング
- リプロダクション
- サイトトランスレーション
- その他いろいろ
問題点がいくつかあるように思います。
1.それぞれが何を意味するかが学習者や指導者により異なる。
2.「正しい方法」があると思って、それを探し求めてしまう場合がある。
筋力トレーニングや楽器演奏の練習で重要なのが
「この練習は何を(どこを)どうするためにしているのか」
という意識だとよく聞きます。シャドウイングはいったい何の役に立つのか。思いつくままに挙げてみても、
- 速い発話についていくことで、聞くときの速度に対する耐性を増す
- ゆっくりの発話をしっかりまねることで、発音に注意を払う
- なるべく遅れて再現することで、「記憶 buffer 」を強化する
こんなことが出てきます。まだまだ見つかりそうです。
「言われたからしてみる」
のと、
「自分なりに仮説を立ててしてみる」
のとで違いがある場合もあるし、そうでないこともあるでしょう。3歳のときから伝統芸能の跡継ぎの訓練をするなら、何も考えずに「形から入る」のでしょうね。いっぽう成年の場合には
「なぜ」
を考えると効果が増すこともあると考えています。
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「正しいリプロダクション(シャドウイング)の練習って、どのようなものですか」
といった問いがいままでも、いまも、今後も発せられていくと思います。答えはいろいろあるはずで、Aさんが
「こうです」
と言っても、それはAさんがAさんの課題を解決するために試して(たまたま)うまくいっただけなのかもしれません。
もちろんいろいろと考えて行動が伴わないよりは、どんなことでも
「(よさそうだから)とりあえず試してみる」
ほうが良い結果は出るのは確かでしょう。
ただ、その際に少しでも
「なぜこれが良いのだろう」
「私にはこれで良いのだろうか」
「ここを、こんなふうに変えてみるとどうだろうか」
といった姿勢を取るとさらに収穫があるんじゃないかな、というのが(現在の)私の立場に近いといえます。
練習方法や指導者、教室を求めてさまよっても時間が過ぎていくだけ。しかし、良いと言われていることが「自分に」合っているかは意識する必要があるように思います。
子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。 (論語)