・学習を続ける動機になる
・必要とされる水準を知る
(おかしいなあ。「しる」の変換第一候補が「汁」だった…)
ことだと感じています。
通訳の訓練にはヴァイオリンやフルートのような「メトード(method、教授法)」が確立していないようです。楽器の場合だと入門用教本も練習曲集も広く長く使われるものがありますね(「バイエル」というピアノ教材など、入門教材を表す一般名詞化しています)。
通訳訓練にこのような
「初心者はこのようにして育てる」
という方法が存在しないのは教師や業界の怠慢ではなく、通訳(翻訳)という精神現象が複雑怪奇で、それを方法論にまとめることに意味があまりないからでしょう。
「こうなるためには、こんな練習をせよ」
ではなく
「こんな練習をしたから、こうなった(らしい)」
というのが授業方針の底流だと思います。
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「通訳技術」という転移可能なものがあって、それを習えば通訳ができるようになるということはなさそうです(少なくとも私はそう思っています)。
半年通ってみて、自分で練習したほうが早いと考えて通訳者になった方もいらっしゃいます。
半年通った通訳学校に途中からあまり行かなくなったのは、自分の訳を聞き、ダメ出しする方が上達が早い気がしたからです。授業料を払い、時間をかけてなぜ通学するのか。私の答えは冒頭のとおりです。みなさんの答えはどのようなものでしょうか。
(IR通訳会社代表のブログ)