50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2020-01-08 百万アクセス

このブログのアクセスカウンターが百万を示しました。

2012年4月にブログを書き始め、2014年7月18日にブログホストを ameblo から Hatena Blog に移行しました。アクセス数記録はそこでゼロに戻ってからのものです。

機械による自動巡回もかなりの割合だと思いますが、多くの方がブラウザのブックマークに入れたり更新通知機能を使って定期的に読んでくださった結果だと思います。ありがとうございます。

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横浜駅から徒歩10分くらいの場所にナンやインドカレーを出さない生粋のネパール料理店がありました。エレベーターのない古い4階建てビルの最上階。スペシャダルバート(鶏カレー・羊カレー・豆スープ・発酵野菜・じゃがいもとそらまめのおかず・青菜炒め・ゴルベラコアツァール・ヨーグルト・ギウ)。

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2020-01-07 体の具合が良い

大切なことは簡単で難しいというお話です。


数年前にときどき腰痛の気配があって心配でした。最近は長時間座って作業することがあってもあの「腰からのサイン」がありません。適度に歩いているからでしょうか。もうひとつありがたいのが肩の重みがまったくないこと。思わず首や肩を回したくなるような「こり」を感じません。


主に貢献しているのは睡眠だろうと思います。朝起きるときに爽快感があります。良い睡眠って現代ではかなり虐げられていて「ぜいたく品」とすら呼べるのではないでしょうか。

気持ちよく起きて生活できるありがたさを忘れてはならないと思います。実は希少な時を過ごしているのかもしれません。


メニューの表紙にタミル語が…。

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この店は肉の扱いがとても上手です。米飯にはポンニ米を使用。

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2020-01-06 10年

十年の長さ・短さに改めてはっとするというお話です。


今から9年以上昔になる2010年の手帳を見たら、当時縁があって家庭教師として英語を教えていた記録が書いてあります。つい最近だった気がしますが、もうそんなに前のこと。当時は中国語を熱心に学んでいたのですが、英語を教えることがその後 2012年から日英通訳者への道を歩むことを暗示していたかのようです。


現代日本史の本を少し読もうと思い立ち、吉田裕「昭和天皇の終戦史」(岩波新書、1992年)など数冊を買い求めました。新たな資料が次々と見つかり、直接の当事者がほとんど世を去ったこともあって歴史の検証がどんどん進んでいることに改めて気づきます。学校で学んだ日本の歴史は完全に内容が古くなっている。

吉田教授の徹底した調査・検証には畏敬の念を禁じえません。そして誰かが史実について何かを言った(書いた)としたら、そこには必ず意図があることも期せずして教えているように思います。これは今日においても真実。


英語の家庭教師をしていたのが10年前。ついこの間のように感じます。そして私が生まれた 1961 年の 10 年前はサンフランシスコ平和条約が調印された年。先の大戦がさほど昔のことではなかったことを突き付けられた思いがしました。


高度経済成長を支えてきた京浜工業地帯

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2020-01-05 勇ましい掛け声は何かがかみ合っていないから

勇ましい決意表明は「絶対にごみを捨てないでください」という看板に似ています。問題はそこにあるが、改善の見込みが薄いという点で。


片づけをしていて2010年からいままでの手帳を手に取って今に至るまでを思い出していました。2011年から2012年には精神訓話のようなことを書き付けてたことに気づきます。
・置かれたこの場で成果を出そう
・目の前のことをまずひとつひとつ
というようなこと。

今になるとわかります。あまり乗り気ではなかったのだと。自らに強いる一種の嘘くささが臭っています。


通訳訓練を始めてからは勇ましい掛け声は手帳に姿を見せなくなりました。できることはすべてしなければならない。これは大声で叫ぶことではなく、もっと身近なこととなって日々実践していくものだというのがわかったのでしょう。立派にできているわけではないけれど、頻繁に気合を入れる必要はない。日々の取り組みを自然なものとして感じている。

通訳養成機関「インタースクール東京校」プロ速成科(2014年-2015年)で共に学んだ仲間は
「学習のモチベーションが湧かずに困るというのがわからない」
と言っていました。これをしなければ・これが好きなんだと自分に言い聞かせることなく「放っておくと勉強ばかりしちゃう」のが自然だったのでしょう。


水が高いところから低いところに流れるように技能を高め通訳をしていく。それが続く限りはそれで良いと思っています。


カワセミやサギ、カルガモがいる小川。自宅からの距離は約 10 m。

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新春はニハーリー(nihari、羊の骨付きすね肉のシチュー)

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2020-01-04 仕入れ

通訳サービスを売るので、対応する仕入れもしなくてはというお話です。


迷いなく自然な表現をするためにあやふやな箇所を点検して直しておきます。敬語の仕組みもちゃんと理詰めであることがわかったのが大きな収穫でした。速く読むのを拒む本ですね。少しずつ進めて、ときどき前に戻って確認しています。

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2020-01-02 なるほど、速いと追いつけない

難しそうな同時通訳では聞いた部分から即座に訳出していくほうが安全だろうというお話です。


BBC の World of Business を同時通訳の練習素材として使いました。進行役の David Baker の語りが難しい。明瞭に話すのですが、密度が濃く同時通訳がすぐに遅れがちになります。

それでは意味のまとまりごとに手短な訳を出して追いつこうと思ったのですが、この方策はうまくいきませんでした。
1.速いので手を出しあぐねる。
2.文の展開がわかりかけたところで訳出を開始。
3.手短にまとめようとしてもそれと同時に音声はどんどん進む。
4.やはり遅れてしまう。


まとめて訳そうとすると「まとめる」負荷が発生し、それが同時通訳の忙しさに重なってしまうようです。
「これは手ごわい」
と感じたときには発言にぴたりと付いて離れないようにするほうが訳を出せる確率が高くなりますね。なにをいまさら、という気づきですが、手短にまとめれば何とかなりそうだというのは「悪魔のささやき」である確率が高いようです。

追いつけないものをまとめられるはずがない。


日が傾いて黄金色になる瞬間が好きです。

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2019-12-31 いろいろなことがあった

今年は特にいろいろなことがありました。実は…、というお話です。


今年の3月で通訳業を始めて丸5年になりました。ちょっと意外な経路で仕事を引き受けたりエージェントに登録することが続きました。

理由は非常に単純で、
「仕事量が増えるにつれ他の通訳者やエージェント、通訳の需要者への露出が増えた」
だけのことです。私の通訳の質が良くなったからでも評判が良くなったからでもありません。ここで思い違いをしてはいけない。


しかしこの「存在を知ってもらう」というのも重要だろうと思います。そこにいるのを知らない通訳者には照会したり発注したりできませんものね。


ある程度の期間仕事をしているといろいろなところに接点が生まれるものです。通訳学校でいっしょだった人の勤務先から接触を受ける。通訳機材手配会社を介して仕事の依頼がある。中国語学習仲間の縁で日英通訳の仕事を引き受ける。通訳現場の通路ですれ違った人から誘いを受ける。

みんな(業界という)同じおでんの鍋でぐつぐつ煮えてるのよ

と表現していた人がいました…。

煮られるなら精いっぱい良いだしを出そうじゃないですか。

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