50歳で始めた通訳訓練

通訳者のブログ。会社員からフリーランス通訳者に転身。以下のユーザー名をクリックするとプロフィール表示に進みます。

2017-07-06 生の迫力--イケてる通訳者

「心の中に『イケてる通訳者像』を持て」
と思っています。実在する人間ではなくても、心に「そのときの理想像」があれば自分の訳出を評価したり学習の方針を考えたりできるはずだと思っています。

しかし。

しばらく前に「イケてる通訳」を聞く機会があり、そのすばらしさに相当驚きました。やはり実在の声には迫力がありますね。

音声付きの動画を偶然目にしました。なめらかな語りが続きます。ところが画面を見たら話者は外国人で英語で話している(口の動きが英語)。この動画が制作された事情から同時通訳であることは間違いありません。

いままで一度も聞いたことのないような自然な訳。話者が日本語を話しているような訳。恐れ入りました。これが同時通訳で実現できるとは。

その日は衝撃だけでしたが、翌日からなぜ自然に聞こえるか考えてみました。まあ、理由はよく言われることばかりでしょうね。

  • 理解の速さ
  • 原文理解を支える言語運用能力(聞き取り時)
  • 背景知識
  • 適切な訳文を素早く拾い出して組み合わせる能力
  • 訳の品位を担保する言語運用能力(発話時)

理解力を伸ばすのは厳しく長い道のりなのは確かなので、これは地道に進めています。短期的なものは何かないかと考えたところ、不自然な間を排除すると訳出の品位が上がるはずだと思いつきました。英語から日本語にするとき、間が空いても自然な箇所とそうではない箇所があります。日本語だったら切らない部分に空白があると一気に「同時通訳臭く」なりますね。

自然な間合いで訳文を出していくには「溜め」(buffer)が必要です。原文解析をしている間にも訳出を止めずに(待たずに)出していく。

●● ●●● ● ●●  と理解しつつ、訳は ● ● ● ● ● ● ● ● と出していくわけです。

業務でこの点を意識してみたら、部分的に改善がありました。あまり無理をすると追いつけなくなって訳が崩壊するのであくまで限定的にですが…。

 


通訳者仲間とちょっとしたお祝い。名店の天丼はさすがの味でした。あくまでも軽く揚がっています。味付けも上品。

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2017-07-01 主体性はあったのか

ブログ「定年からの通訳デビュー」でモコちゃんパパさんが

実態は流されているだけみたいなものなのですが

と書いていらっしゃいます。

この感覚、とてもよくわかる気がします。仕事の打診があれば断らず、その他のことも誘いがあれば赴いてみる。私の場合通訳学校にも通訳業務にも、そして日本会議通訳者協会にも、すべて周囲からの働きかけに「最小限の自発性」で入っていっただけ。

自分で思い切って決断したのは以前の勤務先を退職することくらいだった気がします(これは大きな決断ですが)。その他はさまざまな出会いと運と…。

  1. 昔からの英語学習仲間にインタースクールを勧められ、他校を検討することなく入学。
  2. 同校に2年通った時点でちょうどプロ速成科が設置され、第1期生として拾い上げられる(私のどこを見て選抜試験を受けさせてくれたのかはインタースクール7不思議の1つかも)。上記速成科の修了試験の雰囲気が授業とがらりと変わり、それが私には良い方向に働く。※アルク 翻訳・通訳のトビラ 現役通訳者のリレー・コラム 遅れてやってきた通訳者 心の持ちよう 参照。
  3. 通訳者として世に出て7つ目の仕事が大当たり。以前の職場の知識が生きる業務が数か月続き、通訳者としての基本ができると共にエージェントに安心感を届けた。

こうして振り返ると大きな曲がり角はどれ一つとして自分で機会を作ったものではないのですね。すべて向こうからやってきた。

同じ流されるなら、自己ベストの流され方をするまで。

 


横浜駅周辺にはスカイビルの「マントラ」以外インド人が調理するインド料理店がないと思っていましたが、鶴屋町に「シャグン」が開店していました。野菜を使ったカレーがとてもおいしい。写真の時計の3時方向に見えるのがベイガンマサラ(茄子のカレー)です。すばらしい出来でした。 ※ 後日追記:この店は閉店しています。

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2017-06-30 自営業者は孤独か

通訳を本業にする前に勤務していた企業では社員はほとんど「ファミリー」でした。特に冠婚葬祭がそうですね。結婚式でも葬儀でも善意の動員ですぐに手伝いの人が集まります。ときには上司から号令が下ります。
「それは勤務ですか(No と言えるのですか・残業代出るのですか)?」
などという野暮な問いはありえなかった時代。


自営業の通訳者(フリーランス通訳者)は会社員ではありません。会社員でない立場を楽しんでいる通訳者も多く存在します。私もその一人。
「任されて請け負う」
ことにはひりひりした緊張感が伴います。寿司職人が包丁を持ち、大工が大工道具を携えて仕事に出るように、通訳者はイヤフォンや用語集を用意して現場に赴きます。

今日はこちら、明日はあちらと現場を渡り歩くことも多い。顧客が毎日違うことはあたりまえのように起こりますし、同席する通訳者も目まぐるしく変わります。

それでは自営業の通訳者にはつながりがないのか、というとそうでもありません。私の場合の例を挙げてみましょう。

  • 通訳学校で共に学び、今ではときどき現場で一緒になる仲間ができた
  • 通訳学校で教えを請い、今ではときどき現場で一緒になる恩師ができた
  • 定期的に訪れ、そのたびに暖かく迎えていただく顧客ができた
  • 同業者の集まりで勉強会をしたり講演会を企画する仲間ができた
  • もう20年も前からの英語の学習仲間がいる
  • そして、このブログを読んでくださる皆さんがいる


今は特に日本会議通訳者協会の年間最大イベント「日本通訳フォーラム2017」の準備で忙しいながらも、仲間と取り組む手ごたえや新しい出会いの喜びを感じています。

 


そして、南アジア料理研究部のみんなもいる。
溜池山王駅近くの「SONIA」。マサラドーサ・サンバル(豆と野菜のおだやかなカレー)・カレー1品・ココナツチャトニ・ライスで 1,100円。

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2017-06-24 色とりどりの一週間

通訳の仕事を始めた 2014年 に比べると最近の日々は彩(いろどり)が豊かになったと感じます。おそらく次の二つの面があるのでしょう。
・仕事の種類や内容が多様になった。
・通訳者が経験を積むにしたがって状況の分析や話の理解が深くなった。

「ああ、さっきは話者に同期(synchronise)していたな」
と感じるときもときどきあります。発話の内容が隅々までわかり、その内容が鍋に水を入れるかのように「ざーっと」入ってくる。これが私にとって好調を示す感覚です。こうなれば訳すときに「探す」・「つなげる」といった苦心はありません。ざーっと入った水がざーっと出ていくように訳せます。

もちろんそういかないときも多々あり、そこで苦しくならないように(少なくとも顧客に苦しさが伝わらないように)日々練習と工夫は欠かせません。


この1か月で顧客に特に感謝されることが続きました。偶然なのでしょうけど、うれしいですね。「訳し切った」(今の私ではこれ以上はできない)という機会を増やし、その水準そのものを引き上げる努力を続けることが通訳者の道なのだろうと思います。

 


新橋駅からお世話になっているエージェントに歩く途中にある「ナンディニ虎ノ門店」。ミールス(定食)はいろどり豊かです。肉入り(non vegetarian・写真)は少し重すぎました。菜食が本命かと。

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こんな季節

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2017-06-22 どきどき--信頼に応える

以前に一度だけ組んだ通訳者さんから代役の依頼がありました。ほれぼれするような訳を出す方だったのでかなり重圧を感じたのですが、これも何かの縁と引き受けました。

なんとか無事に収まり、お客様にも満足していただいたようです。

ほっ…。

自分からエージェントの登録をしなくても、このような
代役引き受け → エージェント登録
という形の登録を複数回経験しています。お礼を言われて通訳試験もなく登録ができ、実績も残る。結果的には最強の営業活動かと思います。

他の通訳者を紹介するって、大変なことだと思います。全幅の信頼を置かないとできませんね。幸い私も頼みたい人を何人か思いつきます。かつてインタースクールの速成科(現在の専属通訳養成コース)で学んだ仲間や、日本会議通訳者協会で知り合った通訳者。ありがたいことです。


大事な代役の前の「勝負ご飯」ならカーンケバブビリヤニのマトンビリヤニ。丸のままのカルダモンやクローブがたくさん入っていて薬膳感覚もあります。写真では見えませんが、骨付き羊肉がたっぷり埋まっています…。この日は南インドのサンバルというおだやかな豆・野菜カレーが付きました。最後はヨーグルトサラダを混ぜてさっぱりと締めくくり。

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2017-06-20 通訳のノート(メモ)

通訳の学習を始めたときには、あまりノートのことを考えないでいいと思うんですね。

通訳は書き取りの試験ではありません。

ノートを取るのなら、
「今書き留めたことは実際の訳出にどう役立ったのか」
ということを考えることも必要ではないでしょうか。

つまり、そのノートがあった場合とない場合との違いは何か、ということ。なくても訳せるのなら、書かくていい。その時間とエネルギーを別のことに使えますから。

通訳学校の入門クラスで1文・2文を訳す程度なら、実はノートはほとんど不要ではないでしょうか(名称や数字の列挙を除いて)。


ノートなしで、あるいは最小限のノートで(そのノートがないと支障が出る、という意味で)訳す練習をする。その後に訳す長さが長くなるときのためにノートを取る練習・研究をするのがいいんじゃないかと思うようになりました。つまり

  1. 1文・2文をノートなしで訳せるようになる。
  2. 訳せるようになってようやくどのようなノートが必要かがわかってくる。
  3. 3文・4文と長くなったときに役立つノートが取れるようになる。

ということなんじゃないかなあ。

 


久しぶりに茨城県水戸市スリランカ料理店「コジコジ」に行けました。満月の日なので菜食特別料理です。良い素材を使い、手間をかけて調理しているのがすぐにわかります。カルパシ・コジコジ・アハサ食堂からそれぞれの調理人が出てスリランカフェスティバルで共同ブースを出すそうです。6月24・25日。
6/24,25のスリランカフェスティバルについて。

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2017-06-19 自分一人でできたわけではない

丸の内や汐留、新宿にあるガラスと鉄との高層ビル。そこにある役員大会議室や応接室、場合によっては同時通訳装置完備の会議室。

そんなところに座ってイヤフォンを耳に入れ、マイクロフォンに向かって音声を出す日も多くなりました。

そして週一回は出身の通訳学校で講師を担当します。

ちょっと不思議な気がしますね。学校の教室に初めて座ったのが 2012-04-21(土)の 11:30。つい先日のような気がします。

最近になってようやく
「周囲のみなさんのおかげだったな」
という思いが実感を伴ってきました。いままではそう感じる余裕もなかったのかもしれません。私を通訳者として使ってくれた顧客、そしてその縁を作ってくれたエージェント無くしてはこんなブログ記事を書くこともなかったことでしょう。

通訳学校でさほど出来が良かったわけでもない私を励ましてくれた講師のみなさんにはどれだけ感謝しても足りない気がします。

そんな恩師と今は同じ講師控室に(何年も前からいるような顔をして)座っています。

とりわけお世話になった講師は
「Shira さんがそこ(講師控室)に座っているのを見て、当初は『なんで受講生がここに?』と思ったけど、ようやく慣れてきました」
と言っていましたっけ…。

みなさん本当にありがとうございます。

通訳者としてはまだ動き始めたばかり。まだまだ活動の絶対量が足りません。どんどんやりますよ。


曇り空

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晴れの夜

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